姉のお見舞いへ(2)

 別府駅前から乗ったバスの終点は、別府医療保険センターでした。

 この近くに、姉が入院しているB温泉病院があると聞いていましたが、そこがどこなのかが解らず、同センターの受付で家内に尋ねていただきました。

 たしかに、近くには位置していましたが、目当てのB病院までは徒歩でしばらくかかりました。

 緩やかな坂道をやや上っていきながら約20分ほど歩いて、左手にB病院の看板を見つけてほっと一安心しました。

 同病院は、比較的新しいコンクリートの打ちっぱなしの建屋であり、そこで面会の希望を告げてから、ようやく姉への面会が可能になりました。

 面会時間は、わずかに10分だそうで、久しぶりのことでもありましたので懐かしさが込み上げてきました。

 その想いは姉も同じだったようで、彼女自身から、ここへの入院の経緯を語ってもらいました。

 それは、家での転倒がきっかけだったそうで、その後意識がぼんやりした状態になって、大変だったそうでした。


 私の方へは、家内の携帯電話を使用していましたが、それを家内が無くした後だったことで、連絡ができなかったとのことで困っておられました。

 姉は6人兄弟の3女であり、幼い頃は絵を描くのに長けていたようで、私の中学時代の美術の先生も、彼女のことを認めておられました。

 その姉の描いた絵が県展において表彰されたそうで、その絵が我が家に残っていました。

 これを見て、私も感動し、それを模写して、その中学校の先生に提出すると、先生は、その絵を中学校の玄関口の上部に展覧してくださいました。

 また、姉は、その美術的センスを生かして別府市亀川で美容院を開き、立派に自活していました。


 6人兄弟のうち、三人の女性がすべて美容師となって生計を立てていたという家系でした。

 さらに、別府市亀川には、よい温泉があり、これが、彼女の健康にも役立ったようで、一人でよく頑張って生活をしてきていました。

 そんなことを頭に浮かべながら、

 「よく、これまで一人でよく頑張って生きてきましたね。

 早く元気を取り戻して、これからは、思うように生きてください!」


こう語ると、彼女は、目頭を熱くされていました。

   面会時間の10分は、あっという間に過ぎて、

 「これからは、度々面会に来ますので、早く元気になってください。

 この病院は、スタッフも良いそうなので、ここでしばらく療養するのがよさそうですね」


こういって、面会室を後にしました。

 帰りは、タクシーを呼んでいただき、運よく、大分空港行きバスのエアライナーがすぐにやってきて、それに急いで乗り込みました。

 大分空港までは約40分、すんなり到着しました。

 「少し、時間があるようだから、お茶でも飲んでいきますか?」

 大分空港の3階にRレストランがオープンしたそうで、二人で、そこに行くことにしました。

 ここで、よく冷えた生ビールを二人で分け合って飲み、その窓から見える飛行場とその先の海の景色を堪能しました。

 ここからは、約180度のパノラマを愉しむことができ、その左右の端から端までをよく眺めると地球が丸いことを理解できる曲率が窺えました。

 これで懸案だった姉の見舞いを済ませて、やや安堵することができました。
 

夕方からはD研究員と

 その後、暗くなってから、D研究員がやってきましたので、その研究打ち合わせとともに、懸案の「Q&Aづくり」を検討しました。

 この作業がかなり系統的に進み始めましたので、D研究員の熱心な取り組みが、それによく反映されるようになりました。

 この第一部は、30の問答とし、それを作成して、関係者のみなさんに配布して反応を確かめてみることになりました。

 おそらく、そのトリマーさんたちにとっては初めての「Q&A」になりますので、さまざまな受け留め方がなされることでしょう。

 それを踏まえて、第二部以降が検討される予定です。

 最後に、姉の見舞いを兼ねた久しぶりの別府行き、何もかもが刺激的でした。

 別府湾の美しい景色、乱雑な街の様子、大勢の人々、料理など、国東で日常を過ごしている私にとっては、どれもが新鮮でしたので、よい小旅行となりました(この稿おわり)。

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沖縄の祖母からいただいたバラ(前庭、匂いがすばらしかった)