姉のお見舞いへ(1)
朝から終日、別府への小旅行に出かけていました。
大分空港から別府へは、10時15分発のエアライナーと呼ばれている高速バスで向かいました。
この時間帯の乗客は多く、バスがほぼ満員になっていました。
大分空港は、大分別府の玄関口ですので、久しぶりに人で賑やかな様子に触れることができました。
さて、この高速バスで別府に向かったのですが、私が座った席が、南側の窓際だったことから、そこには柔らかい太陽光が射しこんでいました。
そしたら、私の前の席の若い女性が、私の席のカーテンを閉めてくださいといってきましたので、快く了解しました。
若い女性のことだから、日除けがしたかったのであろうと、その申し入れを即座に受け入れたのですが、これによって、日光浴をしながら車窓を眺めて愉しむという乗車当初の目論見は断念せざるをえなくなりました。
ーーー この状態が別府まで続くのか?少し、なんだか損をした気分になりそうだ!
こうおもいながら、閉じられたカーテンの傍で我慢しながらリラックスを試みていました。
しばらくして、バスのなかに射しこんでくる太陽光の方向が変わってきました。
それに気づいた前の席の女性は、自分の席のカーテンを開けました。
本来なら、後ろの私の席のカーテンを示させたのですから、一言あってよいのではないかとおもいましたが、その女性は、自分の席のカーテンを開けて、シャーシャーとしたままでした。
ーーー そうか、この女性は、自分のことしか考えることができないのだ!
こうおもいました。
結局、この女性は、そのままで、自分の席のカーテンは開け閉めしても、後ろの席にいた私には、最初に閉めろといっただけで、後は何の音沙汰もなしでした。
今どきは、このような若者がいるのかとおもって、少々恥ずかしくなりました。
カーテンを開け閉めするだけのことでしたが、この女性の「気配り」のなさに、今の時代の一コマを感じました。
エアライナーは、12時前に別府駅に到着しました。
そういえば若い時に、この駅に向かって左手の方に、もう一人の姉が住んでいて、そこでご馳走していただいたことをおもいだしました。
今は、そこがきれいに改善されて、ユニークな細道の食堂街になっていました。
この通りの先に、昼食をいただくKホテルがありました。
ここは、昔から名の売れたホテルであり、ここでのランチバイキングは初めてのことでした。
料理は、しっかりよく作られていましたが、あまり珍しいものはなく、手ごろな印象でした。
このなかで、「佐伯ラーメン」というのがあり、もの珍しさもあって、これを少しいただきましたが、さっぱりした美味しさがありました。
ランチバイキングでラーメンは初めてのことであり、みなさんがよく注文されていましたので、このなかでは人気のメニューのひとつとなっていました。
また結構、お客さんは多く、地元では人気のランチバイキングのようであり、さすが老舗のホテルだとおもいました。
60年前の思い出
病院での面会時間は午後からだと聞いていましたので、その時刻に合わせて、別府駅から亀川方面に路線バスに乗り込みました。
別府の東側から西端にある亀川まで約46分かけて、終点の別府医療保険センターに到着しました。
ここには昔、国立の温泉研究所を主体にした亀川病院があり、私は、高校3年生の時に、腰痛で入院していた懐かしい場所でした。
しかし、今は、医療保険関係の機関が集約された大きな病院組織になっているようで、その60年前の姿は、どこにも残っていませんでした。
別府の東側から西端にある亀川まで約46分かけて、終点の別府医療保険センターに到着しました。
ここには昔、国立の温泉研究所を主体にした亀川病院があり、私は、高校3年生の時に、腰痛で入院していた懐かしい場所でした。
しかし、今は、医療保険関係の機関が集約された大きな病院組織になっているようで、その60年前の姿は、どこにも残っていませんでした。
そうえいえば、孫のユッツも、ここに短期間入院していたことがあると聞いていた。
もう。、昔の思い出は、どこにも残っていないであろう」
こうおもいながら、そのセンターのゲート付近に近づいていくと、なにか、見慣れた木々が何本も見えてきました。
ーーー もしかして、この木々は、60年前にも生えていたのでは?
この大木の太さは、当時と比較すると2倍以上になっており、その幹の道路側は、無残にも伐採されていました。
この大木が、そのゲートに向かって何本も並んでいましので、そういえば、私が入院していた時も、この並木道があったことをおもいだしました。
毎朝、この並木道の傍を通過して、温泉治療に出かけたことも鮮やかに蘇ってきました。
ここでは3カ月半の入院生活を行い、温泉治療のおかげで腰痛を治すことができました。
この遅滞によって、私は高校三年生を2回経験することになりましたが、ここでかなりの性根を入れ替えることができたようで、この入院生活が、私の人生の踏み台となることができたのでした。
いわば、3カ月半の入院生活が、精神的糧になったようで、「禍を転じて福となす」ことの契機となったなったようでした。
そのようなことを振り返りながら、この医療保険センターの近くにあるB温泉病院へと向かいました。
そこへは、緩い上り坂になっていて、少々しんどさを覚えながらでしたが、下を向いて我慢しながら坂道を上がっていきました。
「あそこにB病院のビルがありますよ!」
こう家内が案内してくれたので、ほっと一息つくことができました。
5月のやや強い日差しの下のことでした(つづく)。
マンジェリコンの花

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