前庭にも春が (1) 
 
 昨日の記事においても紹介しましたが、今ミモザの花がたけなわ、春を本格的に謳歌しています。

 国際女性デーのシンボルとして平和を願う声が、この花に寄せられています。

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ミモザ(前庭)

 SNS上のミヤシャイマー(シカゴ大学)教授によれば、イランにおける戦争は、むしろアメリカのトランプ大統領の思惑とは違う方向に進んでおり、むしろイランの方に有利に傾き始めているそうです。

 そして、これからは、いよいよイランが多数所有する長距離ミサイルとドローンによってイスラエル本土を攻撃するという予測がなされていました。

 同時に、ホルムズ海峡において、イランは自国のタンカーは通過させるが、敵国に相当するタンカーは封鎖するという状況にあり、これでたちまち一番困るのは日本と韓国、そしてこの封鎖が長引けばヨーロッパ諸国も深刻になると指摘されていました。

 イランの反撃は、周到な作戦によって遂行され、まず、湾岸諸国の石油基地を中心に破壊し、次に狙っているのは海水淡水化装置を配備した基地だそうで、イランの同基地が攻撃を受ければ、イスラエルを含めての大規模な海水淡水化基地を狙っているとのことでした。

 これらの情報は、日本のメディアにおいてはまったく報道されていませんので、何が真実かを知るうえで「ウソに騙されてはいけない」とおもいます。

 さて、春も本番となって、なんとなく、浮き浮きした気分になるのは、みな同じなのかもしれません。

 肺病で苦しい闘病生活をしていた石川啄木は、満開の桜並木の下を、真っ白い和服を着て歩いていみたいと詠っています。

 この春に備えて、わが家の中庭をきれいに片付け、そこに設置するイスとテーブルのセットを組み立てましたが、それを外には出さないまま、座り心地がよいと家内専用のイスとして使用されています。

 もう1セットは、未開封のままで、これを、そのうち組み立てて中庭に設置することにしましょう。

 花粉の飛散がなくなり、この春が終わるころには、ここで淹れたてのコーヒーで寛ぐことにしましょう。

 もう一つの最近の「徒然」は、研究員とのD君との研究の発展についてです。

 以前に、かれに、こういって「研究することは何か」について考えていただいたことがありました。

 「仕事と研究は、『二律背反』ではなく、『表裏一体』ですよ。

 仕事が研究を助け、研究が私仕事を支えてくれるのですよ。

 若い時に、その経験をすることは非常に重要で、あなたの成長の糧にきっとなりますよ!」


 その時ようやく、かれは、その真意を理解されたようで、それからは、毎夕、毎夜、研究所に来ては一緒に実験をするようになりました。

 そのかれの熱意に、私も感化されて、私自身もより積極的に研究に勤しむことになりました。

 かつては、このような日々を毎日、毎夜に渡って過ごしていましたので、その頃のことをよく思い出すようにもなりました。
 
研究と階段

 私の研究生活を大学院の修士課程から開始されたとすると、それは、すでに半世紀を超えています

 いつもそうですが、その途中で何度も、その過ぎ去りし日々を振り返ると、それは、階段を一段ずつ上っていく様に例えられていました。

 もちろん階段の上の方は何も見えていません。

 しかも、その階段は、何段あるのか、どこまで続いているのかも解ってはいません。

 そんな時は、一段一段、そこを踏み外さないように上っていくしかありません。

 それを見て、外からは、なんと無謀なことをしているではないか、非難が好きな方は、世間話のネタにしたがるでしょう。

 やや良心的な方は、私は一緒に上りません。

 だって、その階段がいつ崩れるか解りませんから危ないのです。

 しかし、あの方(私)の手前、片足だけは階段の上においてはみますが、もう一方の足は、その外に置いていつでも逃げられるようにしておきます。

 私の方とて、気楽に上っているのではありません。

 まず、一段上ることができるかどうかを試します。

 それが、目的に近づいている場合には上ろうとしますが、その足の踏みどころはよく検討しなければなりません。

 なぜなら、その一歩は、次の一歩のためにあるのですから、その第2歩に結びつかないと意味がないからです。

 しかし、「言うは易し、行いは難し」です。

 今回は、光マイクロバブルフォームの写真撮影に挑戦しました。

 私が所有しているカメラはニコンD50であり、小型の高性能一眼レフカメラといえます。

 これを用いて、光マイクロバブルと光マイクロバブルフォームを撮影しようとしましたが、それは困難でした。

 10~数十㎛という極小さな気泡の発光を暗闇の中で撮影しようとしたことから、その感度と拡大接写の両方が必要になり、このカメラでは無理なことでした。

 それでは、その上位機種であるD80ではどうかとおもって、それを借りて撮影しましたが、これでも期待したような精密可視化はできませんでした。

 両カメラにおいては、それらしきものは写っていたのですが、それらがあまりにも小さすぎて、それを拡大しようとすると画素数上の限界に達し、画面がモザイク状になってしまったのです。

 これらは、一歩一歩と階段を上っていったことに相当しますが、その限界に直面して、次の階段の高さに足踏みを余儀なくされたのでした。

 結局、この階段においては、かなり上り詰めたにもかかわらず、次の階段の高さに阻まれて、違う階段を選ばざるをえなくなりました。

 最新式の電子制御のフィルムなしの高級カメラでも、この壁は超えられない、これが、その階段を上に進んでいけない結論となりました。

 このブレイクスルーの可能性があるとすれば、100万円以上もする超高精能撮影ができるとされる最新のカメラ(富士フィルム製)ですが、それは高価すぎて手が出ません。

 そこで、こうなったら、別の階段を探し、その可能性を確かめてみよう。

 こうおもって、かつてのフイルム撮影方式に戻ることにしました。

 しかし、ここでもいくつもの難関が待ち構えていました。

 フイルムが高価、現像はできるが、それをプリントしようとするとコンピュータが停止してしまう、相変わらず、暗闇での接写拡大によって、10~30㎛の気泡の発光写真を撮影できるかどうかの保障はない、まさに、これらは困難の坩堝(るつぼ)の如きです。

 そんなどん底状態であっても、そこにわずかな一隅の光を探し出して、そこに確かな可能性を探究していくことで階段を徐々に上がっていけるとよいなとおもっていますが、その階段を実際に一段上ってみると、それはいつも淡い期待でしかなかったことが明らかになります。

 しかし、その挫折と落胆こそが、また次の一歩を見出すヒントになってくれるのです。

 この挫折と希望の繰り返しは、非常におもしろく、そして深く、知的創造においては、この上ない機会を与えてくれます。

 こんなことは誰も知らないだろう、だれも踏み込んだことがない世界ではないか?

 そうおもいながら、もうひとつ階段を上ってみよう、そこに「一隅の光」を見つけることができるとよいなと密かに念願しています
(つづく)。

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 ミモザ(前庭)