「一隅の灯」は宝になるか(45)

    昨日は、ちょっとしたおもしろいことがありました。

 光マイクロバブルフォームの発光に関する写真撮影に取り組んでいる問題ですが、最新の電子制御による一眼レフカメラとデジタルカメラの撮影を終えて、10数年前の一眼レフカメラを用いての撮影を試みることにしました。

 昔取った杵柄とはいえ、その操作のほとんどは忘れてしまっていますので、初歩から勉強をし直すという、情けないスタイルで向き合うことになりました。

 電池は、どこに入っているのか、どのようにしてシャッターを切ることができるようにするのか、感度はどうするのか、フィルムをどう入れるのかなど、わからないこと、要領を得ないことだらけでした。

古き愛用のカメラ

 それでも、昔愛用したニコンのカメラを取り出してきて使えるかを試してみると、残念ながらファインダーの枠の部分に見えていた赤いシグナル信号は見えないままでした。

 「これで撮影できるのだろうか?」


 不安が過りながらも、

 「何とか、昔のように写せないか?」

と粘ってみようと、あれこれ撮影操作を試みていました。

 そうすると、今度は、シャッターが下りない状態になり、

 「このままだと、どうしようもないな!」

と諦めかけていたら、それはフイルムを1枚巻き上げないと、それが押せないシステムになっていて、それにようやく気が付きました。

 昔、使い慣れていたころには当たり前の操作を忘れてしまっていたからで、真に情けないことでした。

 「これなら、もしかしたら、撮影ができるかもしれない?」


とおもいはじめ、

 「とにかく、ダメ元でよいから、撮影をしてみましょう!」


 こうして2本のフィルム撮影が実行されました。

 そしたら、今度は、フィルムを取り出すときにトラブルが起きました。

 フィルム撮影をしたことがなく、それゆえフィルムを取り出す経験もなかったそうで、それを完全の巻き切る前にカメラを開けてしまい、その部分が露光してしまったのでした。

 「フイルムは、完全に巻き上げてから、フィルム設置個所の巻き戻し金具を回して、それが軽くなったら開けるのですよ!」


 こういって、その取り出し方を教えてあげました。

 さて、はたして目当てのものが、きちんと写っているのだろうか?

現像店で

 こう心配しながら、そのフィルムを現像・プリント店に出しにいってもらいました。

 そしたら、その店から、研究員のD君が電話をしてきました。

 どうやら、その店の専門家からの意見を聞いたらしく、その件の相談でした。

 「シャッターを押して撮影しても、内部のミラーが開かない場合があり、その場合は何も写すことができない。

 その可能性があります。したがって、プリントは止めて現像だけにしたらどうか?」


といわれたので、どうするかを尋ねてきました。

 「つまり、使用した昔のカメラが故障していたということですか?」


 この質問には、「そうです」という返事があり、その現像フイルムを持ってきてもらいました。

 「なるほど、何も写ってなさそうですね!」


ある写真屋とのエピソード

 こういいながら、昔のことをおもいだしていました。

 それは、私どもが撮影したフィルムの現像・プリント依頼に対して、懇意にしていた写真屋が、「何も写っていないのでプリントできません」といってきたことがあったからでした。

 その時は、「それでもいいから、とにかく、プリントして持ってきてください。何かが写っているかもしれませんので、よろしくお願いいたします」といって、大量のプリント画像を受け取りました。

 そしたら、そこには、じつに重要な光マイクロバブルの発光写真が撮影されていたのでした。

 何が写っているのか、何も写っていないのかは、当然のことながら、人間の目で確認できるものではないにもかかわらず、写真屋の方々は、いつも取り扱っている写真画像を見て判断されていたのです。

 それが、かれらの常識ですので、今回も、そのように判断されたようでした。

 しかし、私の常識は、かれらと同じではなく、かれらにとっては「非常識」そのものに相当しますので、一見「何も写っていない」と見なされているもののなかに、真実を見出そうとしているのです。

ユニークな顕微鏡観察

 さて、持って来られたフルルムを顕微鏡の台に据えて、その観察を始めました。

 「D君、何か写っていますよ!」


 それは、何も写っていない、ではなく、何かが写っている、に変化した瞬間でした。

 「もしかして、このカメラは、正常に動いていたのではないですか?」


 こういって、レンズを取り外して、内部のミラーが正常に動くかどうかを、シャッターを下ろしながら確認しました。

 それによって、きちんとシャッター速度の長さに応じてミラーが正常に動いていたことを観察したのでした。
 

    この場合、電池で表示されていたのは、その撮影条件であり、シャッター制御ではなかったのです。

 近頃のカメラは、電源で電子回路が働かないとシャッターさえ下りないようになっていますが、一昔前のカメラは、そうではなかったのです。 

 「この重要そうなものは何でしょうか?」

 こういいながら、その後の私は、延々と、その画像を顕微鏡で観る作業を行っていきました。

ゆかいなアナログ方式

 久しぶりに、興味津々やや興奮しながらの「愉しい一時」でした。

 さて、昨夜に続いて、本日は朝からひねもす、この現像されたネガフィルムを顕微鏡で観察することを続けました。

 狭い視野で、どこに写っているかわからないものを探し出すことですので、あたかも砂漠に落ちた1枚のコインを探そうという行為によく似ています。

 あるいは、もう少し良心的に考えれば、どこにあるかわからない宝物を探し出すことに匹敵するのかもしれません。

 いずれにしても、それが愉快であることに変わりはありません。

 もしかしたら、今の最新式のデジタルカメラよりも、アナログ的フイルムの方がよいのではないか?

 こうおもいはじめていたことが、ずばり的を射ていたことになり、

 「やはり、そうか!」


と、かつての経験が役立ったことを改めて思い知らされました。

 常識的な撮影には最新式が便利でも、非常識な未知の撮影には温故が有効であることを改めて諭しました。

 これから、しばらくの間は、この温故知新に勤しむことにしましょう。

 本日は良き日となり、おかげで光マイクロバブルフォームの女神が少し微笑んでくれたようですね(つづく)。

0308
AI画像(参考のイメージです)