「80歳の壁・実践編」(14)

 本日は、お金の使い方の問題のようです。

 和田秀樹先生は、「お金を遣う」ことは「脳を使う」ことだと仰られています。

 この場合、「遣う」は、心を働かせる、気を配る、誰かのために何かを費やすという意味合いがあるようです。

 お金の遣い方には、そのような心や気持ちを使うことから、このような言葉遣いを選ばれたのでしょう。

 この「金遣い」で最もおもしろい私の事例では、パナソニックの乾燥洗濯機を購入した時でした。

 この価格をネット上で調べて、それに対して地元の家電屋に見積もりを取っていただいたら、それよりも1000円程度割安になっていました。

 それで決めようかとおもっていて、念のために再度ネットで、それを調べてみると、それがどういうわけか、30万円弱の価格が半額になっていました。

 なぜか、とおもいながらも、すぐにその発注を行いました。

 めでたく、それを購入し、今ではフル稼働、おかげで洗濯物を干しに行く手間がなくなり、私には珍しい家内孝行になりました。 

 この時ほど、お金の遣い方でふしぎな想いをしたことはありません。

 おまけに、今の季節は花粉が飛んでいますので、それが付着したままの服や下着を装って苦しむこともありません。

 きっと何か半額になった理由があったのでしょうが、それは未だに解っていません。

 2つ目は、今回の沖縄行きで宿泊したホテルの件ですが、これは家内に選んでいただきましたので、宿泊費についても彼女任せになりました。

 それゆえ私が貢献したのは、沖縄への渡航費と滞在費、そしてCDづくり費用などであり、真に、それらのお金で気を遣うことはありませんでした

 さて、本日は、和田先生による次の指摘が目に留まりました。 

 ⑫節約ではなく、浪費が老化を遠ざける

 先生は、高齢者のみなさんが、せめて自分の身の回りの物ぐらいは、自分で選んで購入する方が、脳の刺激になってよいのではないか、と指摘されています。

 それが、脳を眠り込ませないコツなのだそうです。

 そういえば、私もいつの間にか、自分で服や下着を購入しなくなって久しくなります。

 また、先生は、「節約ではなく、浪費を宗とすべし」ことを提案されています。

 これは、真にふしぎなことですが、自分で進んで飲み屋に行ったことがありません。

 タバコは吸いません。

 ひたすら真面目に非浪費型の生活を行ってきました。

 そのせいもあって、お金に困ったことは一度もなく、両親も引き取って一緒に暮らしました(6人兄弟の末っ子ですが)。

 しかし、研究活動においては、かなりのお金を費やしてきましたが、それも途中からは、自分で外部資金をかなり得ることができましたので、ここでも困ることはありませんでした。

 そして、2012年に国東に来てからは、お金とまったく縁が無くなり、それを使うことが無くなりました。

 たとえば、コンビニに自分で行くことは皆無になり、自分で金を支払う時は、病院代と薬代のみになりました。

 振り返ってみれば、「浪費を宗とすべし」といわれても、その浪費をするものが見当たらないのです。

 着るものは、いつも着やすいものを着るだけでよい。

 アルコールは、比較的安価なワインを少し飲むだけでよい。

 魚は、この国東に新鮮で安価なものがいくつもある。

 野菜は自分で栽培し、仕事においては、これまで培ってきた光マイクロバブル技術の専門性が有益である。

 こうやって考えていくと「浪費を宗」とすることに出合いそうにないのです。

 「そうであれば、脳の老化が進みますよ!」

 こういわれそうなので、この際、その「浪費」とやらに、少し足を突っ込んでみようかと思案することにしました。 

「自分で稼いだお金は、自分で使い切る」

 お金を使う機会を無くし、おさらばの生活を愉しんでいる私にとって、この和田先生の提言は、なかなかな容易なことではないようにおもわれます。

    それから、元々お金を浪費するほど持っていない方々にとっては、節約暮らししかできません。

 おそらく、その節約暮らしのなかにおいて、可能な限りの少しばかりの贅沢浪費を考えたらどうでしょうか、これが先生のお勧めだとおもいます。

 たとえば、私の場合でしたら、ここ国東では、年間100万円程度で生活ができますので、年金暮らしでも、そこそこの余裕がでてきます。

 それゆえ、プチ贅沢のワイン(これまでは1本1000円程度のもの)を少しアップして飲む、一日一杯の「森のコーヒー」を家内と一緒に飲み、コーヒータイムを愉しむなどは、それに一歩近づいていっているのかもしれません。

 さて、最後は、「自分で稼いだお金は、自分で使い切る」という問題ですが、私の場合、金に関する執着心がほとんど消失していますので、おそらくは、そのような気持ちには至らないのではないか、そう推察しています。

 お金を遣うよりは、今の自由な時間を想いっきり使って高貴高齢者をめざす、この方がより価値あることではないかと判断しています。

 そんな私に、「お金を浪費せよ」という命題には、いささかの窮屈さを覚えます。

 今でも、私は現役として仕事をしていますので、自分で「稼いでいる」ことになります。

 その遣い道は、これまで通り、家内と相談して、彼女主体に運用していくことになるでしょう。

 お金という資本主義の便利と、それに伴って不可避的に出現する「呪い」からおさらばして、「自由な時間」を存分にふかく、おもしろく、そして豊かに処分していく。

 これが一番私に合っていることではないかとおもわれます(つづく)。

oki-11
沖縄平安座の海岸