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 光マイクロバブル文明史における4要件のうち、その第3番目の要件である「技術化および産業化」の問題を引き続き考察していきましょう。

 物事には必ず表裏があり、それが長所と短所に結びつく事例が多いようです。

 私の光マイクロバブル技術の研究においても、そのことが色濃く反映していました。

技術化の始まりはT高専で

 私の前職場は、山口県周南市にあるT高専でした。

 そこに1976年に助手として赴任し、水理研究室を担うことになりました。

 まず、空っぽであった実験室づくりから始め、そに翌年からは講義を行うようになりました。

 じつは、私は前任地の琉球大学においては土質工学の助手として、沖縄の土壌と水問題を研究していましたので、T高専においては、大学の修士時代のテーマに戻って、開水路乱流の研究に打ち込むことにしました。

 T高専に赴任して3年目に卒業研究生を迎えることになりましたが、その年に、予想外のことが起こって、私の研究室に新たに助手を迎えるという事情が生まれました。

 こうして私と助手、そして卒業研究生と一緒になって水理学の研究を曲がりにも行うという体制になっていきました。

 高専は、実践的な技術者教育を行う高等教育機関でしたが、そのほとんどの実際は教育が主であり、研究は二の次でした。

 しかし、初代の校長のJ先生は、一所懸命に研究せよと若手を支援していましたので、当時の私は、まずゼロからの実験室づくりから始めて、卒業研究を実施できるようにし、次の目標を掲げました。

 1)毎年学会発表ができるように研究水準をアップさせる。

 2)その成果をまとめて学会論文集に投稿、掲載できるようにする。

 3)高専において独自の研究スタイルを確立し、学位(工学博士)の取得をめざす。

 これらの研究活動においては、当時の京都大学防災研究所の二人のU先生の研究手法を、さらには、この二人の先生方から、当時の自由学園のK先生の研究を紹介され、その手法とスタイル、そして生き様を深く学ぶことができました。

 こうして、日夜卒業研究生と一緒に開水路乱流の研究に勤しむなかで、上記の1)と2)の目標を達成できるようになりました。

 また、この間、私の出身研究室であったY大学のS先生の研究室で、週1回の研究ゼミを行うことを提案し、S先生の熱心な指導もあって、午後1時から始めて毎回帰りは24時を過ぎるという研究会を約6年間継続しました。

 さらに、S先生を初代会長になっていただいて西日本乱流研究会を創設し、私は、初代の事務局長を10年務めました。

 年3回の研究会と1回のシンポジウム(2泊3日)を開催し、これらに西日本を中心にした大学の先生が約60名参加する研究会に発展していきました。

 この過程は、T高専における実験室づくり、研究室づくり、助手との共同研究(後に新たな助手を迎え、教授、助教授、助手の3者の共同研究に発展)、大学とのゼミ活動、大学間の研究会へと発展していったものでした。

 こうしてT高専に赴任して12年目に3)の目標を1988年3月に達成しました(その後、助教授、助手の方にも工学博士の学位を取得していただきました)。

 この3人とも、T高専の水理研究室を主舞台として研究を発展させて学位に結び付けていったことに特徴がありました。

技術開発の「はじまり」

 また、私が32歳の時に、懇意にしていたY県工業技術センターM所長の推薦もあって、地元中小企業による下水処理プラントに関する技術開発委員会に誘われました。

 本委員会においては、微細気泡を発生させるエアレーション技術が問題となり、そこで採用されていた微細気泡発生装置(当時世界12か国の特許を取得し、最も優れた装置だといわれていた)を凌ぐ装置開発を依頼される破目になり、ここから私の微細気泡発生装置の開発がスタートしました。

 今から振り返れば、これは真に「安請け合い」でしたが、どうしても、気泡のマイクロバブル化が難しい、その発生原理が不明、上記の微細気泡発生装置には重要な誤りがあったことから、それをどう乗り越えるか、などの難問が立ちはだかっていたことが幸いだったのでしょうか?

 結局、そのうち意地になって、独自に、その開発に執念を燃やすようになり、その開始から15年もの歳月を要して、最初のマイクロバブル発生装置のM1型が完成しました。

 この特許も申請して、1995年に学会で発表しましたが、これをどう現場に適用するのかが重要な問題になりました。

 すぐには、この実践先が見つからないまま、1998年11月に広島湾で大規模な赤潮が発生し、45億円の被害が発生しました。

 この時、広島に住む大学時代の同級生のN君が、「なんとかできないか?カキ漁師を救ってくれ!」という強い依頼があり、思い切って、ほとんど見通しのないままに、そのカキ養殖改善に取り組むことになりました(1999年6月)。

 じつは、この時に、上記のK先生の現場における実践的研究のスタイルを学んできた成果を試してみようとおもったのでした。

 素人ながら、カキ養殖の現場はおもしろく、光マイクロバブル技術を試すには非常に適切な場所だったのです。

 カキのことは、現場でカキ漁師に聞き、尋ね、それらを踏まえて、光マイクロバブルを発生させてカキの反応を確かめる、すなわち実践的に現場実験を行うという、まさにK先生に教えていただいた醍醐味を実感したのでした。

 現場は常に魅力的であり、とくに光マイクロバブルに対してカキが大きく口を開けたことから、その反応が成長に結びついていくということが明らかになり、その魅力はますます増していきました。

技術化➡産業化

 そして、この体験は、光マイクロバブル発生装置の開発という技術化が、カキ養殖の現場にドラマチックに適用され、カキの大量斃死を防ぎ、逆に成長を可能にする養殖促進の技術化が確立し、産業化が始まったことを意味していました。

 さて、この技術化から産業化への第一歩は、高専において、どう受容されていったのでしょうか?

 まず、その発展の経路を先に示しておきましょう。

 ①装置の発明➡②現場適用➡➂技術化➡④理論化➡⑤再技術化➡⑥産業化➡⑦社会実装➡⑧普及➡➈文明化

 この経路をより具体的に示すと次のようになります。

 ①光マイクロバブル発生装置の発明➡②広島カキ養殖の現場に適用➡➂光マイクロバブル発生装置を組み込んだカキ用システムの技術化

 この①~➂によって、じつは、次の非常に重要な発見があり、これが④において非常に重要な課題となりました。

 A)カキの3倍開口化現象とそれに伴うカキの稚貝における急速な成長促進が観察されたことから、その科学的要因の究明

 B)カキの大幅な血流促進の原因究明

 この2つの課題が新たに認知され、それらを含めての光マイクロバブルの物理化学的特性および生物活性機能に関する科学的究明とその理論化が非常に重要になりました。

 そこで、高専の卒業研究において最初に取り組まれたのが、このA)とB)の課題でした。

 この段階において、あるおもしろいエピソードがありますので、それを一つ紹介しておきましょう。

 それは、T高専の3年生が、このように質問してきたことでした。

 「先生の光マイクロバブルは、NHKなどに派手にメディアに報道されているそうですね。しかし、学会の方では、少しも相手にされていないと聞いていますが、それは本当ですか?学術的には、とても通用するものではない、ということのようですが、先生は、どうおもわれますか?」

 「おもしろいことをいう方が、この高専にいるようですね。あなたのところまで、そんな話が聴こえてくるということは、かなりの流布がなされているようですね。

 でも、それは真っ赤の嘘(うそ)、まったくのデタラメです。なぜなら、光マイクロバブルのことを学会で発表していますが、それが大変な評判になっていますよ。

 なぜ、そんな根も葉もないことをいう方がいるのですかね?」

 こう諭すと、その熱心な学生は安心して研究室を出ていきましたが、周囲には、「おもしろおかしな」評論をなさる方がいたようでした。

高専における実践的教育研究の発展

 因みに、光マイクロバブルの物理科学的特性に関して研究を行った専攻科生は、日本高専学会から「専攻科論文賞」を受けるという栄誉を授かりました。

 そして、この光マイクロバブルの物理科学的特性を究明すると同時に、カキやタイラギなどの二枚貝に関する現地実験を高専の卒業研究や専攻科特別研究において取り組むように発展していきました。

 これらの取り組みにおいて、卒業研究生や専攻科生が、目を輝かせていたことが非常に印象的でした。

 こうして技術化と理論化が相互に作用し、互いに刺激を与えながら発展していったことで⑤の最技術化が図られ、その成果が⑥の産業化へと結びついていったのでした。

 しかし、このカキ養殖を始めとする水産業の産業化は、一定の発展に留まりました。

 その根本理由は、水産業自体が衰退を始めていた産業であり、同時に、海の自然生産力に頼り過ぎていたために、その根本的なブレイクスルーには至らなかったことにありました。

 しかし、この光マイクロバブル技術が高専を舞台にして生まれたという事実は非常に重要な意味を有していました。

 その第1は、高専発の技術が、富士山の裾野のように日本の技術において普及・拡散し、多くの分野における研究者を増加させ、着実に、時として燎原の火のように拡大して定着していったことでした。

 第2は、既存の技術と光マイクロバブル技術が融合し、それらを持続的に発展していくことを促進させたことです。

 第3は、この光マイクロバブル技術の発展を第一段階とすると、次の第二段階における飛躍的な発展とイノベーションの誘起を可能とする胎動となっていったことです。

 第4は、この光マイクロバブル技術の発展を基礎として、高専発の技術が日本全体へと拡散し、さらには日本発のオリジナル技術として世界に普及していったことです。

 そして今日においては、上記の⑥~➈が同時多発的に発生し始めているのです。

 次回は、この⑥~➈の過程におかる第二段階の特徴について、ふかく分け入ることにしましょう(つづく)。

Abstract

The third requirement was highly distinctive and complex.
However, when I look back on it now, I can clearly recognize a single, inevitable line of development running through it.

I believe it was a fortunate outcome that, throughout this process, I avoided any major misjudgments and had the courage to carve my own path forward.



sennninnsou-112
裏の通りで見かけたセンニンソウ