西洋の古語曰くの謎(2)

 宇和島における高野長英主宰の塾「五岳堂」の学則の第一条は、次のように記されていました。

 「西洋の古語に曰く、学問の道は須らく雫の石を穿つ如くせよ。之れ夙夜黽勉懈ることなければ、遂に大成を爲すべし」

 すでに、この主意については解説を行ってきましたが、ここで「西洋の古語」とは何かを、いろいろと調べてみましたが、そこに辿り着くことができませんでした。

 本年4月における中津講演の前の約1年半にわたって、この調査を継続し、途中数度にわたって、歴史家でもあるK先生(中津市の大病院の理事長)にも相談したこともありました。

 その後、約半年間、この問題の探究を中断していましたが、最近になってAIをよく使うようになり、

 「そうだ!AIに、この『西洋の古語』とは何かを調べてもらおう!」

と、ひらめきました。

探索結果

 このAIによる調査結果は、次のようでした。

 1)古典(ラテン語)

 最も確かなルーツは、オウィディウスの『追放詩集(Ex Ponto)』4巻10詩5行の

 “gutta cavat lapidem”(雫は石を穿つ)であるとされています。これは学校本の教科書にも掲載されているのだそうです。

 2)さらに古い文献(ギリシア・ラテンの類例)

 同趣旨の用語は、古代ギリシア詩人のキオリロス(サオスのコエリオス)の断片にも見られます。

 「雫は持続によって岩を掘る」

 また、ラテン語においては、ルクレティウス*が、次のように繰り返し述べています。

 “stilicidiī cāsus lapidem cavat”
 (軒滴の落下は石を穿つ)

 ティトゥス・ルクレティウス・カルス(ラテン語: Titus Lucretius Carus, 紀元前99年頃 - 紀元前55年)は、共和政ローマ期の詩人・哲学者。 エピクロスの思想を詩『事物の本性について(英語版)』に著した。

 3)中世以降の定型句

 中世になって、よく知られる長い定型句の形として、

 “gutta cavat lapidem, non vi sed saepe cadendo”
 (力でなく、しばしば落ちることで)

という「言い回し」が、中世において付け足され、定式化されるようになりました。

 4)オランダ語への受容(蘭学に届く経路)

 ルネサンスのエラスムス『アダギア(格言集)』などを通じ、ラテン語句が各国語へ広まり、オランダ語では、次のように定着しました。

 「Gestadig druppelen holt de steen(uit)」/ 「De druppel holt de steen(uit)」
     (持続する雫は石を穿つ)

 5)高野長英との関係

 この学則第一条の趣旨は、かれ自身の次の蘭文四行詩にも示されています。

 「たえねばや はては石をもうがつらん かよわきつゆのちからなれども*」

 *和訳は、ジョン万次郎の長男の中浜東一郎によるもの、オランダ語の本文は高野長英作とされている

 すなわち、オランダ語の表現として受け取った古典ラテンの教訓を学則や座右の銘の形で用いたことが自然に推察されます。

 そこで、高野長英が、どのようにして、この古典の古語に辿り着いたのか、これには、上述のK先生によるシーボルトの教えがあったのではないか、という示唆がありましたので、これについても尋ねてみました。

 次回は、その問題についてより深く分け入ることにしましょう(つづく)。

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国東の森の緑