坊ガツルの思い出 
 
 いつも熱心にコメントをくださるMさんからきれいな写真が届きました。

 これを拝見し、一気に昔の学生時代のことを思い出しました。

 まずは、その美しいミヤマキリシマの画像を示しましょう。

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ミヤマキリシマの大群

 ミヤマキリシマの大群の向こうの右手に聳えているのが三俣山です。

 私は、学生時代に、この山に登り、直に、この大群を目にしたことがありました。

 あれから52年の歳月が過ぎていますので、文字通りの長い年月ぶりの再会になります。

 たしか、ここには2年続いて訪れ、最初は、友人のワンダーフォーゲル部(通称「ワンゲル」)の同級生や後輩たちと一緒に、そして2年目は大学の研究室のみんなと一緒に登りました。

 当時は宇部市に住んでいましたので、宇部線から日豊本線に乗り継いで、別府で降りてバスに乗り、牧ノ戸からの登山口から上っていきました。

 途中、登山道路においては小さなマムシがはい出ていて、それを踏まないようにと注意されました。

 そして、キャンプ地の「坊ガツル」に到着しました。

 写真中央部の平らに見える一帯が坊ガツルです。

 すでに、ここには、ミヤマキリシマを見ようと、かなりの数の登山客たちが来ておられました。

 時刻は夕方になっていましたので、早速テントを張って夕食の準備をしようとしました。

 しかし、ここで好ましくないものに出合いました。

 それは、登山者たちがゴミを捨てる場所であり、そこがゴミで溢れかえって、そのゴミ場所の範囲からはみ出したゴミが数メートルの範囲で多く溢れていました。

 その様は、溢れたゴミの上に、新たなゴミを重ねて捨てるという状態になっており、これは山男や山女がすべき行為ではないとおもいました。

 しかし、だれも、それを片付けようとせず、情けない状態で、それが拡大し続けていて、目の前で、ゴミが捨てられ続けていました。

 そこで、みんなに、「このゴミを何とか片付けましょう。みんなの力を貸してください!」、こういうと、みんなは、快く賛同してくださいました。

 こうして約2時間がかりで、このゴミ捨て場をきれいにして、ほっと安堵、気分がすっきりしました。

 この清掃後は、きちんとゴミ捨て場の範囲内にゴミが捨てられるようになりました。

 私たちも、それを眺めて、やや山男らしいことをしたな、とおもいながら美味しく夕食をいただくことができました。

 夜空には、満天の星がきれいに輝いていました。

 翌朝は、まず大船山(だいせんさん)に登り、そしてミヤマキリシマの大群落がある平治岳(ひいじだけ)へと移動しました。

 同行したワンゲルの猛者たちは健脚ぞろいでしたので、かれらに着いていくのがやっとでした。

 「足が疲れてきたときには、どうしたらよいのですか?」

 こう登山中に尋ねると、

 「足を強く踏みしめて、どしんと下ろすようにして登ってください!」

 こう答えられたので、そうしてみると確かに足下がしっかりしてきたようでした。

 また、登山中に歌を唄うことも彼らの流儀であり、井上ひさし作の『ひょっこりひょうたん島』を大きな声で唄っていましたので、私も一緒になって声を張り上げました。

 「水平線の向こうに、きっと何かが待っている、進め、進め、ひょっこりひょうたん島」

 ひょこりひょうん島は、海に浮かんだ船のようなものですが、山歩きをするかれらは、この「きっと何かが待っている」という冒険心をきっと気に入っていたのでしょう。

 この歌声と共に、私の足取りも軽くなっていました。

 さて、上記の写真は、その平治岳山頂からの眺めです。

 真正面に三俣山、眼下に坊ガツル、その向こうには九重の山々が聳えていて、まさに絶景が繰り広げられています。

 私たちの山歩きは、平治岳から下りた後に中岳(なかだけ)、九重山(くじゅうさん)と進んでいきました。

「坊ガツル讃歌」

 そして夕方には再び坊ガツルに戻りました。

 楽しい夕食を終えた後は、みんなで車座になってゲームを行い、歌も唄いました。

 そのなかに「坊ガツル讃歌」がありました。

 これは、もともとは、広島高等師範学校(東京師範学校に続いて2番目に開設された師範学校(教員養成学校))の山岳部によって作詞作曲されたものですが、その原曲を基にして新たな作詞で芹洋子さんが唄われてヒットした曲でした。

 人みな花に 酔うときも

 残雪恋し 山に入り

 涙を流す 山男

 雪解(ゆきげ)の水に 春を知る

 夜空の輝く星の下で、山男たちと一緒に唄った讃歌は、真に心に染み入りました。

 素敵なミヤマキリシマの思い出でした。

 Mさん、ありがとうございました(つづく)。