『80歳の壁』(7)

 和田秀樹氏による名著『80歳の壁』において、その第3章に、認知症に関して詳述されています。

 かれの専門が老年精神医学であることから、その3章において認知症に関する分析が非常に簡潔的に示されています。

 すでに前記事において、認知症に至る3段階に関する和田先生の指摘を記してきました。

 1)「もの忘れ」(10年以上も前から始まっていて、老化と共に避けられない現象)

 2)「失見当識」が起こる(例えば夜中に起きても朝だとおもって外出しようとする)

 3)「知能低下」が起こる(目立った知能低下、本を読んでも読めない)

 これに対し、私の認知症予防策として、次の3つを示しました。

 ①もの忘れしても、それを思い出す訓練を行う。

 ②将棋ソフトを愛し、ひたすら頭の体操として使用する。

 ③読書を持続させる。

 これらに加えて、もう2つを追加しておきましょう。

 ④光マイクロバブル技術の研究を行い、頭を駆使する。

 ⑤その成果も含めて、毎日2000字前後のブログ記事を執筆する。

 これらは、認知症予防の作戦といってもよいでしょう。

 さて、和田先生の認知症に関する見解に戻りましょう。

 現在の認知症患者数は600万人といわれています。

 国民の20人に一人が認知症患者になっています。

 これに関連して、「ボケたら徘徊(はいかい)する」ことがテレビなどで放映されていますが、これはごく少数の事例であり、その600万人が、ほとんど徘徊し始めていたら、この世の中は大変なことになります。

 かつて首相を行って下野し、その次には財務大臣を最長期間にわたって居座り続けたA氏は、暴言で有名な方でしたが、かれは、日本の米が中国で高く売れていることに関して、

 「78000円と18000円はどっちが高いか、アルツハイマーの人でもわかる」

と、アルツハイマー患者を小馬鹿にしました。

 アメリカのレーガン元大統領、イギリスのサッチャー元首相も重度の認知症患者になりましたが、これらの人々に向かって同じように発言できるでしょうか?

 そういえば、自分の首が飛ぶほどの大問題になっていたでしょう。

 おそらく、現役の大統領や首相の時にも、その前兆はあったはずであり、認知症であっても、それらの仕事を熟すことはできる、こう和田医師は明察しているのです。

 この指摘は非常に重要であり、「認知症」を患っても、レーガンやサッチャーのように、「やろうとおもえばできる」、「まだまだやることは可能だ」といえるのです。

 「あなたは、まだまだ、いろいろなことができますよ。それを試してみてください!」

 作家の森村誠一さんは、認知症を患った経験があり、この病気との闘いを具体的に表されています。

 例えば、『老いの正体』において、ご自分が認知症を患った際の壮絶な想いを具に示されています。

 森村さんの認知症は、上記の1)~3)が生じていました。

 スーパーに買い物に行って、開店時間を目にして帰りますが、その翌日には、その時間帯がいつなのかを忘れていました。

 しかし、それでも自分が好きなものを買える嬉しさがあり、買い物を続けられたそうです。

 また、散歩にもよく出かけられていました。

 散歩コースは、かつての私がそうだったように、決まったコースだけを同じように歩くのではなく、いくつかのコースを決めて歩かれたそうです。

 私は、若い頃に勤務先の学校にしばらくの間は歩いて通っていましたので、ほぼ毎日のように道順を変えて歩き、付近の景色を楽しみながら登校していました。

 森村さんは、認知症になってからは、毎日が違った散歩コースを歩むようになったそうで、そのことを楽しんだそうです。

 このように、森村さんは、認知症に陥ったことで決して落胆することはなく、かえってそれはそれで楽しさを見つけていくことで、そこから脱出することを工夫され、遂には、その認知症からおさらばすることができました。

 認知症になったら、「それで終わり」ではなく、「まだまだやれることはいくつもある」とおもい、その脱出を試み続け、遂には、それを成し遂げることこそ「老いの証明」なのではないでしょうか。

 こう考えると、その恐れはやや軽減されますね(つづく)。

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モッコウバラ(前庭)