懸案を終えて 
 
 先ほど、当面の懸案だった19日の講演スライドと配布用の資料の作成を終えて、ひとまずほっと安堵することができました。

 今回の講演題目は、「『須らく雫の石を穿つ如く』考-高野長英と光マイクロバブル-」としました。

 この2つのテーマは、講演を依頼されたK先生(K病院理事長)によって要望されたことでした。

 これらをどう結びつけるのか、ここに最初の問題がありました。

 方や長英は、歴史上の人物であり、医者であるとともに凄い学者でもありました。

 もう一方の光マイクロバブル技術は私の専門であり、その融合と結束をどのように実現するかで思案し、長英の学問観に分け入り、それを基本にしながら光マイクロバブル研究の本質を究めていくことを主題にしていこう、この観点を踏まえることにしました。

 周知のように、長英は江戸後期における蘭医学者であり、その壮絶な人生と業績をどう理解し、それらが、現在において、どのように光り輝いて迫ってくるのかを明らかにすることが大切だと考えました。

 そのために、長英に匹敵する現代人は誰かを考察していくなかで、それに最もふさわしいのは、長英と同郷の大谷翔平選手ではないかと推察しました。

 大谷選手は、昨年度のメジャーリーグにおいて初の50-50を成し遂げたスーパーアスリートであり、あのトランプ大統領が大谷選手に「日本の首相になったらどうか、あなたの方がふさわしい」と言わしめた方です。

 おそらく、高野長英が現代人として今に生きておれば、大谷選手のように、世界中の人々を吃驚させ、感嘆させる優れた学者として大活躍をなされていたでしょう。

 そこで、この両者に関して単なる推察程度に留めるだけではおもしろくないので、そのことをさまざまな側面から愚弟的に比較検証してみました。


 その結果、この両者には、同郷であること、そして共に大男であること以外においても、かなりの共通点があり、大谷選手は、その活躍する舞台は異なっていても、現代の高野長英といってもよい側面があるのではないかとおもうようになりました。


 その最も重要で普遍性を有する特徴は、決して揺るがない信念と目標を抱いて、その達成に向かって懸命に実践的挑戦を積み重ねていることにありました。


 しかも、実践と達成は、自分だけにあるものではなく、常にチームや社会のことを優先させる献身性によって洗練されていました。


 これらが、世界中の人々を魅了し、ワクワクさせ、その実践における真理性を際立たせているのです。


 個人よりもチーム、チームよりも社会、社会よりも世界、そして個別的具体よりも普遍的な科学、理屈に留まらない実践、これらの常により上位への昇華が、目の前で解りやすく示され続けているのです。

 その意味で、須らく(いつも)、雫が石を穿つ如(ごと)く、長英の場合は学問の蛍雪を重ね、大谷の場合には、メジャーリーグ選手として鍛錬、そして洗練させていくことによって、それを日々怠ることなく努力し続ければ、「ついに大成をなす」ことができるのです。

 長英は、不幸にして亡くなるまでに92編の論文と書物を記しています。

 大谷選手も、ベーブ・ルースの記録を更新し、前人未到の54-59を成し遂げたことから、その一つの大成を成し遂げつつあります。

 共に、真に誇らしい人物といえます。

 この二人の未踏の努力を学び、少しでの近づいていけるとよいですね(つづく)。

ichou-11
銀杏(散歩にて)