歴史のなかのイノベーション(3)
昨今における遺伝子解析の結果から、日本人は、さまざまな渡来人がやってきて同化を繰り返してきたことから、特定の遺伝子を持った民族ではないことが明らかにされてきました。
DNAにおいては、90%が混ざり合った人々によって文明が築かれてきたことが、1万年以上も続いてきた縄文時代から始まっています。
縄文人の特徴は海洋性の民族であったことにあり、船で交流し合っていました。
また、平地のすぐ傍には栗を主体とした森があり、そこに竪穴式の住居を構え、川を伝って海に出て、貝や魚を獲っていました。
温暖な気候で豊かな森と海があり、住食に困らない、争いが起こらない平和な村落が形成されていたからこそ、1万年以上も安定して過ごすことができました。
一方の西欧や中国では、もともと痩せた土地であり、気候も日本と比較して厳しく、食糧不足や宗教上の理由によって常に戦が起こり、その戦いに敗れた民族は、その地を追い払われ、流浪の民となって彷徨い続けていました。
しかし、ようやくたどり着いたところでも、その流民たちは歓迎されず、その土地と食糧を奪い合う戦争が頻繁に起こり、今尚、それが続いてきています。
「東へ行け!」、これが流民たちの合言葉であり、神の「お告げ」のようでした。
陸地から、そして海からはるばる渡ってきた渡来人たちは、四方が海に囲まれている東の果てにやってきて、もうこれ以上は東に向かっていけないと観念したのではないでしょうか。
渡来人たちにとって日本列島は極楽のようであった
もうここに住みつくしかない、幸い、温暖な気候で森があり、きれいな水も豊富にある、海の幸、野の幸、そして森の幸もあり、十分に生活する豊かな条件が揃っている、こう感じたのではないでしょうか。
おまけに、先に住みついていた縄文人たちは、やさしく、争いを知らず、自分たちを何のこだわりもなく受け入れてくれた、いやむしろ歓迎さえしてくれた、これは、幾度となく排斥され、追い払われた渡来人たにとっては驚きであり、願ってもない安寧でした。
そうだ、この極楽の地において、縄文人たちと一緒に住んで、私たちを平和に受け入れてくれたお礼に、私たちの進んだ技術や文化を役立ててもらいましょう、こう対応したのではないでしょうか。
世界最古のイノベーションは農業であった
さて、マット・リドレーによれば、世界最古のイノベーションは農業だとされています。
ふしぎなこと,、このイノベーションは、ほぼ世界同時に、しかも数カ所で起こったそうです。
しかし、このイノベーションが起こる前には、長い氷河期が続いていました。
この地球上では4つの氷河期があり、一番新しい第4紀の氷河期は、今から約200~1万年前でした。
この時代は、海水温が低温だったために、海からの蒸発能が低く、それゆえに降雨がなく、植物も育たず、炭酸ガス濃度も極端に低かったといわれています。
そのために、海水面が低下して、日本列島は、樺太およびシベリアと陸続きであり、そこからナウマンゾウを追ってやってきたロシア人が、日本列島への最初の渡来人だったようです。
この氷河期が終わるころに、日本列島においては縄文時代が始まり、冷たくて寒い日本列島が逆に温暖で過ごしやすい気候に変わっていきました。
これに伴って海面が上昇し、海水の蒸発量が増加して、それが降雨として現れ、緑の日本列島が形成されるようになりました。
ここから、縄文人によって自然植物の収穫も行われるようになり、農業イノベーションが開始されるようになりました。
この農業イノベーションによって、縄文人たちは栗を主食にしながらも、その平地での自然野菜や果実を食べることができるようになり、それらを海産物と一緒に煮炊きしていただくようになりました。
この煮炊きの様子は、三内丸山遺跡においても示されています。
縄文と弥生の共存共栄
また、縄文時代の後期には、弥生人といわれる祖先が南方から日本列島にやってきて、その平地に稲作を始めました。
すでに森には縄文人がいましたので、弥生人たちは、稲作をしていたこともあって海の近くの平地で生活していました。
この両人類は、共存共栄の関係にあり、民族同士の争いは起こらず、仲良し同士でした。
ところが、弥生人同士のなかで格差が生まれるようになり、その米の争奪戦によって弥生人たちが戦をするようになりました。
そして、力を得た弥生人たちは、徐々に縄文人たちを追い払うようになりました。
追われた縄文人たちは、東北、北海道、九州や沖縄など辺境の地に追われていきました。
そのことが、最近のDNA解析によっても裏付けられています。
これらの人々のやさしさ、平和への望み、そして剛毅さなどは、今尚受け継がれてきた気質の特徴と考えられます。
とくに、沖縄の人々のやさしさは、ここにルーツを有しています。
農業イノベーションの変革力
この農業イノベーションは、小麦や牛の遺伝子を変えただけでなく、ヒトそのものの遺伝子まで変えてしまったことをリドレーは指摘しています。
もともとヒトの体は牛乳の中に含まれる乳糖を消化・分解することができなかったことから、離乳後は、それを飲むことができなかったのです。
しかし、この消化が可能な遺伝子の突然変異が起こり、牛乳を飲むことで恩恵を受けるヒトが増えていったことから、その遺伝子が集団で優位になっていったことを明らかにしています。
今や牛乳は、子供たちだけでなく高齢者にとっても重要なたんぱく源になっています。
すなわち、この農業イノベーションは、ヒトそのものを造り変える変革力を有していたのです。
また、この農業イノベーションの進行速度は緩やかであり、平和な争いのないところで着実に発展していったことも強調されています。
農業は、人々の生活の基本である食糧を生み出すものであり、それを疎かにする国はやがて衰退し、滅びてしまう、これが歴史の教訓です。
この重要な教訓を守り育てる、そのことが今も問われています(つづく)。
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