大男であった長英
前記事において高野長英が、身長181.8㎝の大男であったことを記しました。
当時の日本男性の平均身長は156~158㎝であったことから、約25㎝も背が高かったことになります。
因みに、現代の大谷翔平選手の身長が193㎝であることから、長英は、大谷選手にほとんど変わらない大きな男性だったのです。
しかも、かれらの出身地が岩手県の水沢ですので、これもふしぎでおもしろい一致といえます。
長英が生まれた水沢には、仙台の伊達藩の分家としての水沢藩がありました。
この水沢藩の人々は、分家でありながらも、自立自存の意識が旺盛で気位が高かったといわれています(『評伝高野長英』鶴見俊輔)。
また、長英の親は、水沢藩の家臣の後藤実慶といい、その祖先を遡ると藤原鎌足に連なる家系でした。
この藤原鎌足は、中大兄(なかのおおえ)皇子(後の天智天皇)の側近として、蘇我蝦夷、入鹿を打倒し、大化改新に重要な役割を果たし、律令国家体制の基礎を築きました。
この藤原氏の祖先については、朝鮮半島からの渡来人ではないかという説もあり、最近では、高天原系の渡来人にルーツを有するという学説も示されています。
東北地方など北の地域に、かつての高野長英、現代の大谷翔平選手のように大身長で聡明、自分の幸福を他人の幸福や平和と結びつけて考える人が、古くからいたことが注目されます。
長英の特徴
さてここで、今一度、高野長英の特徴を見直してみましょう。
その第1は、若くして勉強好き、兄と一緒に家出同然で江戸に出向き、蘭学を懸命に学んだこと、そして、21歳で長崎のシーボルトが開設した鳴滝塾に弟子入りし、わずか3年余で19編もの論文と報告書を提出したという、凄まじい学才を発揮したことです。
第2は、人並外れた大柄な男性であり、江戸に出向いて蘭学を学んだ際には内弟子にしてもらえずに、自分で按摩をして生計を立てていたことです。
かれの学問好きは、兄の後藤湛斎(ごとうたんざい)から学びましたが、かれと一緒に江戸留学した際には、病気になった兄の看病をしながら、その最後には亡くなった兄を看取り、それでも蘭学を学び通すという強い信念を有していました。
第3は、蘭医学に留まらない、幅広い学識を身につけようとしてきたことであり、その視野の広さと新たな学識を探求し、それを深めようとする豊かな創造性を有していたことです。
第4は、破獄の後に約6年間に亘って、友人、知人、弟子たち、さらには、長英の存在を貴重に思い、支援をかって出た人々に支えられて、全国各地における逃亡生活を続ける強い信念と粘り強い意思力を宿していたことです。
これらは、当時の日本人としては、人並外れた資質と強い志向、そして桁外れの忍耐力を有していたように思われます。
おそらく、それらには、古来より日本列島にやってきた渡来人の優秀な血と頭脳が受け継がれていたのではないでしょうか。
ここで、その重要な示唆となる一つの比較を示すことにしましょう。
これは、高野長英の座像と若いユダヤ人の顔を並べて比較したものです。
まず、鼻が高く、鼻筋が通っていて、その形状がよく似ています。
目と眉毛の間隔が狭く、目の形も類似しています。
また、耳の様子や口の閉じ方にも共通点が認められます。
さらには、おでこの形態、頬、顎の張り方にもよく似た部分があります。
この長英の容貌は、晩年に近い頃ですので、長崎のシーボルトに弟子入りした時は21歳でしたので、もっと溌溂とした若者だったのではないでしょうか。
これらの類似点に加えて、上記の断トツの大男だったこと、さらには、格別に優れた頭脳明晰さを加味すると、長英には、ユダヤ人などの渡来人の血が混じっていたように推察できます。
ユダヤ人を含めて、日本列島には、縄文時代から何度も渡来人がやってきて、そこに同化して平和に棲みついてきた歴史があります。
そこには、四季があり、海の幸、山の幸が豊富にあり、よそ者とは争わずに仲良くして互いの良さを生かして上手に生き抜いてきた日本国民の賢さとやさしさがありました。
近年になって、生物学的なDNA解析がなされるようになり、日本人のルーツは、さまざまな人種の交流と混血にあることが明らかになってきました。
おそらく、高野長英の優れた学問的指向力と情熱、忍耐力、庶民を助け、正義を愛する心情などの能力は、渡来人とのDNA生殖のイノベーションの結果から生産されたものではないでしょうか。
ある歴史学者は、東北人において、身体が大きく、学問的あるいは人間的にも傑出した人物が輩出していることに注目する必要性を強調されています。
上記の長英の祖先に関しても、関東、東北の優れた渡来人との交わりがあったのではないかと思われます。
次回においては、この豊かな東北の自然と文化について、より深く分け入りながら、長英の深掘りを試みることにしましょう(つづく)。
参考文献:
鶴見俊輔著『評伝 高野長英』、中村整史朗著『小説 高野長英』、吉村昭著『破獄』
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