甲府2日目
甲府駅の近くのPホテルに泊まっての朝は、部屋が東の端だったこともあり、豪華な朝陽が入り込んできていました。
朝食は1階の小さな食堂で取りました。
どうやら、この朝食の目玉は卵にあり、生卵か、それとも目玉焼き、卵焼きかと尋ねられ、久しく食べたことがなかった目玉焼きを選びました。
漬物には珍しく菊芋が添えられており、質素な内容が丁度良く、美味しい朝食となりました。
「今日は、丸一日、孫たちと一緒に過ごしましょう!」
「こんなことは初めてのことだね。豪華な一日になりそうですね!」
午前10時に孫たちと娘(孫たちのお母さん)が車で迎えに来てくれました。
じつは、以前から甲府にある山梨県立美術館に行くことが念願だったのですが、それを実現させる余裕がありませんでした。
それゆえ、この日はまず、その美術館を訪れることになりました。
3連休の中日でもあったことから、すでにたくさんの訪問者があって、駐車場は満車でしたが、娘が機転をきかして、身体障碍者用のスペースを申し出て、美術館に最も近いところに駐車することができました。
一行は、大人4人、子供4人の多人数でしたが、受付で私の身障者手帳を見せると、なんと大人三人は無料、残りは半額という観覧料であり、8人でわずかに1250円でよく、この少額に娘が吃驚していました。
さすが、弱者を配慮した美術館だと思いました。
「念願のミレーの『種撒く人』を見ることができる!」
こう思いながら、順路を進んでいきました。
まず、このミレー展は、彼と同時代の作家の絵画が並べられていました。
いずれも、ミレーと同じ画法で、農村風景を中心に暗い画法で黒を主体にして描かれていました。
ミレーは、農家の9人兄弟姉妹の長男として生まれました。
幼いころから絵画が好きで、父親の農家を継ぐか、それとも好きな絵画を選ぶかで悩んでいたころに、叔母の励ましもあって好きな画家の道に進むことを決めました。
そしてパリの美術学校に行って絵画を学びましたが、生活は苦しく貧乏に喘いでいました。
また、パリではコレラが流行し、止む無くパルビゾン地方に移り住み、農民の生活を中心にした絵を描き始めました。
しかし、農民生活を中心にしたミレーの絵画は、パリの画家やスポンサーにはなかなか受け入れてもらえませんでした。
さて、この美術館においては、かなりの数のミレーの絵画が展示されていました。
これらを鑑賞して、まず驚いたことは、それらの絵が非常に上手に描かれていたことでした。
薄く絵具を伸ばしながら巧みに対象物を克明に描いていく力量はすばらしく、ここに絵画を極めた具現が示されていました。
しかし、それらの絵画のほとんどが暗く、ほとんど光のないものばかりで、1800年代初頭の絵画が、このように描かれることが主流になっていたのではないかと思いました。
種をまく人
そのミレーの絵画のなかで、一際画期をないしたものが「種をまく人」であり、それは豪華な額縁のなかに収められていました。
この絵は、種をまく人を前面にクローズアップして描かれ、真にまいた種が飛散していく瞬間が示されていました。
夕暮れ時になっても(あるいは夜明け前かもしれません)種を一心不乱に種をまく足取りはしっかりしていて大きく開き、着ている衣の下には屈強に鍛え上げた農夫の身体が描かれていました。
空は曇っていて、遠景の丘の向こうにはわずかな太陽光に照らされた薄明りの部分がありました。
おそらく、決して楽とはいえない、ある意味で辛抱をしながら黙々とこなしていく農夫の姿をリアルに描きたかったのでしょう。
この絵画には、そのような想いと農夫の種をまくダイナミックな動きがみごとに描かれており、他のミレーの作品とは異なる特徴を有していました。
これは、ミレーが36歳の時の作品ですが、このころから、かれの作風が徐々に変わり始め、対象物と周囲がより明るく描かれるようになります。
また、パルビゾン派の代表的作家となったミレーには、絵画を買い取るスポンサーが出てきて、以前の貧乏生活からの脱出が可能になっていきました。
ミレーの三大代表作の一つといわれる「羊飼いの少女」は50歳の時の作品であり、黒色で暗く描く画風は消え去り、自然光の下で羊たちと少女たちがリアルに、そして愛らしく描かれています。
もう一つの代表作が、「落穂拾い」であり、本美術館には、四季連作の最初の作品である「落穂拾い夏」が展示されていました。
フランスでは、8月に小麦の収穫が行われますが、その際に、貧しい小作人たちのために、落穂を残す習慣があったそうで、ミレーは、その落穂拾いを行なう農民たちを見て感激したそうです。
私も、稲刈りを終えた後に、田圃で落穂拾いを友人たちと一緒に行ったことがありました。
拾った落穂は、その農家に差し上げたのですが、それを受け取った農家の方は大変喜ばれていました。
当時は、稲刈り時には学校の臨時休校があり、私も友人の農家の手伝いを楽しく行っていました。
このときにいただいた「お結び」が美味しかったことを思い出します。
脱穀の後は、藁でサツマイモを焼いて食べることもうれしいことでした。
ミレーは、60歳でなくなりました。
彼とは39歳違いのゴッホは、晩年のミレーの作品に強く影響を受けて翻案を何度も試みています。
ゴッホが亡くなる2年前には、ミレーと同じ構図で『種をまく人』も描かれています。
しかし、ゴッホが描いた同画には、少しの暗闇もなく、燦燦と夕陽が種まく人を照らしていました。
わずか、数十年の間に、絵画は印象派へと引き継がれ、暗く黒い画風から太陽光が輝く色とりどりの世界へと変化していきました。
これらの絵画をゆかいに鑑賞し、その後に、同美術館内にあるレストランでパスタ料理をみんなでいただきました。
ちべ君は、そのメニューのなかで一番高いパスタを注文したようで、これもかれが幼いころからの趣味でした。
たしか、幼稚園の年長さんの時に、国東で、体長25㎝以上もあるクルマエビの天ぷら3匹を注文し、それを一人で平らげたことがありました。
傍で、彼の父親が味見をしたそうでしたが、ちべ君は決してそれをお裾分けせずに自分一人で完食しました。
食に拘り、美味しいものを食べようとする趣味は、真に子供らしくてよいものですね(つづく)。
落穂拾い・夏(山梨県立美術館HPより引用)
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