甲府へ
1月11日から14日まで4日間、山梨県の甲府への小旅行を行っていました。
真冬の寒さ厳しい折に、はたして無事旅行ができるのか、少々心配していました。
とくに、9日、10日と、国東においては雪が数㎝も積もるほどの厳寒のなかにあり、甲府はより寒さに震えるのではないかと危惧していました。
しかし一方で、この旅行に備えて、できるだけ足腰をしっかりしておこうと、光マイクロバブル入浴の際に入念に足の屈伸運動を行ってきました。
また、寒くなると足先が冷えてきますので、このケアにも心掛けてきました。
11日は、11時前に大分空港に向かい、12時25分発のソラシド便に乗り込みました。
久しく羽田行きの航空機には乗っていませんでした。
とくに、コロナパンデミック以降は上京をまったく控えていましたので、前回の上京がいつであったかの記憶もなくなっていました。
羽田には14時過ぎに到着し、遅い時刻の昼食をとりました。
さて、何を食べようか?
同行の家族のそれぞれで、すぐには意見が一致せず、あれこれと探し回った結果、昔よく利用した回転寿司屋が見つかり、そこでマグロの握り寿司を少しと貝汁をいただいて、ようやく少しばかり胃袋を落ち着かせました。
その後、甲府の孫たちにお土産を買っていくと家内がいうので、その寿司屋から少し歩いたところに目当ての菓子店(「ガトーよこはま」)がありました。
甲府の孫のうちの長女が、このチーズケーキが大好きなので、いつもそれを買って喜ばれていました。
今回は、家内が、それに加えて「生チョコ」も購入していました。
丁度、それらを購入し終わったころに電話連絡があり、すでに甲府からの迎えの車が到着していることを知り、その待ち合わせ場所に急ぎました。
今回は、その孫たちの父親であるMK氏が、わざわざ甲府から車を飛ばして迎えに来てくださったのです。
寒いなか駅の構内の階段を上り下りし、新宿から電車で甲府まで行くことを決めていた私たちですが、わざわざ、羽田空港までかれが迎えに来てくださることになって大変助かり大喜びしました。
この日の東京は快晴、雲一つない温かい冬空でした。
甲府においても雪は降っていなかったそうで、寒い冬は九州を始めとして西日本地区だけだったそうでした。
車の渋滞もほとんどなく、約1時間半で甲府から羽田に到着したようでした。
戻りも、途中の休憩時間をいれても約2時間で甲府に到着する予定だと聞かされ、甲府の東京への近さを改めて知りました。
途中、4人の孫たちの話で盛り上がりながら、楽しく甲府をめざしました。
その合間に、ちらりと青い富士山が見え、その雄姿を楽しむこともできました。
孫たちとの再会
17時過ぎに甲府に到着、すでに、辺りは暗くなっていました。
周知のように、甲府は大分に比べてかなり東の位置にあり、それゆえに日暮れも早く、車窓からは、甲府盆地の夜景が見えていました。
この広大な盆地の周囲は高い山々に囲まれており、あの武田信玄にとって、それは天然の要害であり、信玄が生涯において城を構築する必要はないと考えられていました。
この甲府盆地のなかをほぼ真っ直ぐに進んで、孫たちが待っている自宅に到着しました。
まずは、4人の孫のうちの3人(ちべ(長男)、RIRI(長女)、GAKU(次男))から歓迎されました。
昨年の夏以来、約半年ぶりの再会でした。
いずれもみな元気にすくすくと育っていました。
次女のMIONは、体操のクラブでトレーニングをしているとかで7時過ぎに帰ってきました。
そこで4人揃いましたので、遅ればせながら皆に「お年玉」をあげました。
甲府名物
夕食には、甲府の名物がいくつも出てきました。
まず、吃驚したのは、マグロの巻きずしでした。
このマグロの身が巨大さ(直径3㎝前後)に圧倒されました。
これは、味もよく、甲府駅1回にあるスーパー内の「魚力」の看板商品だそうでした。
第二は、「和幸」のトンカツ、これも美味しくいただきました。
孫たちも、大喜びで賞味していました(ただし、これは東京名物でした)。
第三は、「たごさく」の「赤飯」、これは私の大好物であり、これ以上に素敵な味の赤飯は、どこにもない、と思っています。
おそらく、豊かな土壌と水において栽培されたもので、その炊き方も優れていて、この素晴らしい味ができ上っているのではないかと推察しています。
まず、口に入れて噛み始めると、もち米特有の粘りがあり、なぜか、その次に口の中に甘さが漂うようになります。
これらに加えて「うま味」が溢れて、本当に美味しい「赤飯」になります。
これがあれば、他の食物は要らない、そう思わせるほどに美味しいのです。
甲府に来た時には、それを売っている駅ビルにいって必ず購入し、そしてまた帰るときにも同じものを買い、特急あずさのなかでいただく、これが楽しみでした。
娘は、そのことをよく知っていて、夕食に備えて、この赤飯を出してくれました。
食事が終わったころに、体操クラブに行っていたMIONが帰ってきました。
さすがに、やや疲れたようで、一人で御馳走をいただいていました。
週に5日、一日5時間の練習をしているそうで、近頃は、演技がうまくなりました。
感心なことは、それだけハードな練習であっても、一度も嫌だといって練習に行かなかったことはないそうで、それを熟していく平気な力量も身に備えていることです。
嬉しいことに、最近の試合において、平均台で一度も落ちなかったそうで、そこに練習の成果が現れていました。
誕生会
MIONの食事が終わって、しばらく落ち着いてから、彼女の誕生会が開催されました。
折よく、「ガトーよこはま」の立派なチーズケーキがありましたので、それにロウソクを立てて、みんなで誕生日ソングを唄いました。
この日は、このケーキに加えて、特製のナマチョコもあり、これが大好きなRIRIを含めて、その豪華な誕生会をみな喜んでいました。
こうして4人の孫たちとの夕食会、誕生会をゆかいに過ごした後、21過ぎにホテルに戻りました。
このホテルは、やや古く、昔の若いころによく宿泊していた安宿によく似ていました。
どうやら、名前が非常に良かったので、このホテルにしたそうですが、宿泊料がかなり安かったので、これは仕方がないと判断しました。
かえって昔を思い出っすことができ、これも乙なものだと思いました。
明日は日曜日、孫たちとのゆかいな一日を過ごすことができそうで、素敵な甲府の二日目を期待しました。
羽田からのMKさんのお迎えは、非常に楽で助かりました。
改めて、深く感謝申し上げます(つづく)。
たごさく(甲府駅店HPより引用)
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