日本のヒマワリ(1)
前記事において、ゴッホの「オーヴェル近郊の平原」の絵画を紹介しましたが、これにはちょっとしたエピソードがありましたので、そのことに触れておきましょう。
じつは、1995年の3月下旬に、家族でミュンヘンのノイエ・ピナコテークという美術館に行きました。
そこにはゴッホのひまわりの第三作目が展示されており、子供たちは、それを一日中見続けていました。
そのひまわりの絵画の隣に、この「オーヴェル近郊の、平原」の絵画も展示されていて、それを娘の一人が気に入って、帰ってから、それを模写していました。
これを、今度は私が大変気に入り、その絵画を名刺に刷り込み使用していました。
そこにはゴッホのひまわりの第三作目が展示されており、子供たちは、それを一日中見続けていました。
そのひまわりの絵画の隣に、この「オーヴェル近郊の、平原」の絵画も展示されていて、それを娘の一人が気に入って、帰ってから、それを模写していました。
これを、今度は私が大変気に入り、その絵画を名刺に刷り込み使用していました。
(ミュンヘン、ノイエ・ピナコテーク美術館)
このオーヴェル平原の名刺が非常に評判になり、なかには、それを気に入って特別に話しかけてくる方もいました。
たとえば、T電力会社の副社長(当時)や仙台市長などがいましたが、ゴッホの絵画を見て娘が模写したものだというと、さらに大変喜ばれました。
ゴッホは、アルル地方にやってきてから合計7枚のひまわりの絵画を描いていました。
この過程において、ゴッホは画家としての飛躍的な成長を遂げ、かれ独特の画法を確立していきました。
たとえば、T電力会社の副社長(当時)や仙台市長などがいましたが、ゴッホの絵画を見て娘が模写したものだというと、さらに大変喜ばれました。
ゴッホは、アルル地方にやってきてから合計7枚のひまわりの絵画を描いていました。
この過程において、ゴッホは画家としての飛躍的な成長を遂げ、かれ独特の画法を確立していきました。
もうひとつのエピソード
昨年の夏に、甲府の孫たちがやってきました。
その長男が「ちべ」君であり、本ブログにおいても度々登場していた人物でした。
そのかれが中学2年生になり、夏休みの宿題として写真画像の提出があり、何を撮影したらよいのかという相談を受けました。
「光マイクロバブルの写真だったら撮影できるよ!」
こういって、その撮影を行ったのですが、それが、その写真展の趣旨に沿っていなかったようで、夏休みの最終日に慌てて新たに撮影を行うことを思い立ったようでした。
さて、何を撮影するのか、頭を捻り、ビー玉を凸レンズの代わりにして拡大写真を撮ることを決めたそうです。
その長男が「ちべ」君であり、本ブログにおいても度々登場していた人物でした。
そのかれが中学2年生になり、夏休みの宿題として写真画像の提出があり、何を撮影したらよいのかという相談を受けました。
「光マイクロバブルの写真だったら撮影できるよ!」
こういって、その撮影を行ったのですが、それが、その写真展の趣旨に沿っていなかったようで、夏休みの最終日に慌てて新たに撮影を行うことを思い立ったようでした。
さて、何を撮影するのか、頭を捻り、ビー玉を凸レンズの代わりにして拡大写真を撮ることを決めたそうです。
そこで、次に被写体を何にするかに関して検討し、かれは、テレビ画面に映ったひまわりの画像を選びました。
なぜか、ひまわりの黄色に拘ったのだそうでした。
さて、ビー玉を通して、テレビ画面のひまわりは、どのように映し出されたのでしょうか?
なぜか、ひまわりの黄色に拘ったのだそうでした。
さて、ビー玉を通して、テレビ画面のひまわりは、どのように映し出されたのでしょうか?
その画像を見せていただきましたが、そこには、テレビの画面の画素が拡大されて写されていました。
この画素の色には、緑色と赤色の画素が見出され、この緑と赤で黄色ができることを示していました。
この拡大写真とテレビ画面の画素の色の構成と出現が科学的におもしろかったということで、この写真がみごとに第二位に入賞したのだそうでした。
山梨県下の小中高生による2300名余の応募のなかで第二位として表彰されたのですから、これは立派な快挙となりました。
ひまわりのテレビ画像をビー玉で拡大写真撮影した、という誰もが実行したことがない方法で大変ユニークな写真撮影を行った独創性が、審査員の高評価を得たのでしょう。
真にみごとな入賞であり、かれの中学校では、唯一の表彰者だったそうです。
ゴッホが画家として成長を遂げた題材がひまわりであり、一方でちべ君が、科学写真として取り組んだ画材がひまわりのテレビ画面であったという一致は、じつに面白く、これに何か重要なものが含有されているのかもしれないと推察いたしました。
この拡大写真とテレビ画面の画素の色の構成と出現が科学的におもしろかったということで、この写真がみごとに第二位に入賞したのだそうでした。
山梨県下の小中高生による2300名余の応募のなかで第二位として表彰されたのですから、これは立派な快挙となりました。
ひまわりのテレビ画像をビー玉で拡大写真撮影した、という誰もが実行したことがない方法で大変ユニークな写真撮影を行った独創性が、審査員の高評価を得たのでしょう。
真にみごとな入賞であり、かれの中学校では、唯一の表彰者だったそうです。
ゴッホが画家として成長を遂げた題材がひまわりであり、一方でちべ君が、科学写真として取り組んだ画材がひまわりのテレビ画面であったという一致は、じつに面白く、これに何か重要なものが含有されているのかもしれないと推察いたしました。
「ひまわりのヒト」
これまでに、「ひまわり」に因んで、映画「ひまわり」、絵画の「ひまわり」、テレビ画像の「ひまわり」について述べてきましたが、いよいよ、この記念シリーズにおけるメインテーマにかんする「ひまわり」について分け入ることにしましょう。
それは、「ひまわりのようなヒト」に関することであり、それを「ひまわりのヒト」と呼ぶことにしました。
次回からは、この「ひまわりのヒト」に深く分け入ることにしましょう(つづく)。
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