5800回記念を迎えて
この十数日間、来る第5800回記念の記事をどうしようか、を考え続けてきました。
いつものように、良いアイデアはすぐに浮かばず、思案を重ねてしまうことになりました。
すでに、みなさまもお解りのように、この記念シリーズは、そのほとんどが単発の記事、あるいは数回の記事で終わることはなく、かなりの期間に渡って認め続けることになっています。
したがって、そのルールを守ることになりますので、次のような制約が自ずとかかってしまいます。
①かなりの長編記事となることができるような洗練された内容を有する必要がある。
たとえば、最近の事例でいえば、「須らく雫の石を穿つ如くⅡ(5555回記念)」の記事は、すでに17回のややロングランになっていますし、「さわやかロハス生活(第4600回記念)」は、これまでに18回の記事執筆を終えています。
前者は、高野長英との偉大な実践的学者の生きざまと凄まじい学問観を学んだシリーズであり、後者は、緑砦館においてアグリ作業を行った成果の一端を紹介することに中心にしています。
さらに、「光マイクロバブル・イノベーション(5500回記念)」もありますが、すでに36回を重ねながら、これから、その本番にいよいよ分け入ろうとしているという有様です。
ここで重要なことは、これらの記念シリーズの記事は、最初から、その構想が決まっているわけではなく、最初に直観的に決めたメインテーマに基づいて、それを具体化・発展する過程において、その考察を深め、展開を図っていることです。
その意味で、書きながら考え、考えながら執筆という思考と叙述を繰り返していることになります。
おそらく、この方法が私に一番合った方法であり、これが「私の流儀」ということができるのではないかと思っています。
②かなりたくさんの記念シリーズの記事がありますが、そのなかで、新たな記念シリーズの記事の内容が、それ以前の記事の内容と重なってはいけない、すなわち、新たな内容であることが要求されることです。
これは、意外と難しく、可能な限りの重複を起こさないように努めていますが、部分的には少々重なることがどうしても出てくることもありますので、その際には、引用をきちんと行うように心がけています。
しかし、この重複を避けることは、非常に大切なことであり、それを堅持することで、常に新たな見解や認識が必要となり、その後進に意味を持たせることが可能になります。
それが、5800回という長きに亘って認め続けることができた理由の一つでもあると考えています。
➂何といっても、この記念シリーズの基本を光マイクロバブルの科学と技術に関することを中心にしたことが非常に重要である。
すでに、光マイクロバブルという科学的にすばらしい新物質性とその優れた機能性には、未だに探究することができない奥の深さと広大さがあります。
これらによって、このブログ記事が成り立っていて、その研究や普及、そして開発が進めば進むほど、新たな世界へと進んでいくことが可能になっていくのです。
おそらく、それは、星を渡り歩くような遠大さを有し、それは荒野性と未来性に富んだ旅路になるにちがいのではないでしょうか。
光マイクロバブルの流儀とは?
以上3つの制約を持ちながら、「光マイクロバブルの流儀とは何か」を本記念シリーズにおいて創造的に探究していこう、これが狙いです。
流儀とは、個人や集団が奉じる技(技術)の分野に対する考え方、取り組み方を意味しています。
それゆえ、光マイクロバブルの自然科学性、それを用いた技術性を基本にしながら、それらに関する私の考え方や取り組み方を認識し直し、2025年という新たな到達点から随筆風に考察していくことにしたいと思います。
これを「光マイクロバブル風」と呼ぶことにすれば、この風のなかから重要な、そしておもしろく、ゆかいな何かが出てくるとよいですね。
ところで、今回で5800回を迎えたということは、今年中に大台の6000回を迎えることができる可能性が生まれていることでもあります。
このまま順調に推移していけば、それは初夏のころになりますね。
これも、今年のよい、そして高貴な目標になりそうです(つづく)。
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