5600回記念(3)

 昨夜は、北側にある書斎を温かくしたせいなのか、あくびばかりがでてきて、さらに、リクライニングの椅子のここちよさも加わって、どうしても、記事の執筆ができなくなり、最後には、それを断念してしまいました。

 いつもは、寒さを我慢しながらの執筆でしたので、このようなことは起こらなかったのですが、温かい環境に身体の方が順応してしまったようでした。

 そんな訳で、本日は、南側の研究室における執筆に切替えています。

 前記事において紹介した『快人エジソン』において、非常におもしろいエピソードが紹介されていました。

 その記事の重要部分(青字の部分)を再録することから、本記事の執筆を開始します。

 「あるとき、その大卒の有能な研究員が開発ができない、よいアイデアが浮かばないと悩んでいるのを見て、エジソンは、かれに、こう語りかけました。

 『あなたは、これまでにあなたが築いてきた常識に基づいて、その問題を解決しようとしていませんか?

 そうであれば、あなたは解決方法を見出すことはできませんよ。

 そこから抜け出すことが、まず大切ですよ!』

 こういわれても、その研究員は、エジソンが語った意味をよく理解できずにいました。

 そして、その後も、よい解決策が見出せないと悩み続けていました。

 それから、しばらくして、エジソンは、その常識から抜け出すこと、そしてその非常識の考究の大切さを語り、さらに、一緒に集中して考えることを教えたのでした。

 エジソンの集中とは、食事を取らず、家にも帰らず、そして眠らず、ただひたすら、その難問の解決策を探るというゾーンに入ることでした。

 これによって、その研究員は、それまでの常識に縛られずに、非常に難しいと思われることでも考究し、その探究を徹底していくという、エジソン独特の発想方法と解決方法の教育を受けたのでした」

非常識のゾーン

 もう一度、この「非常識ゾーン」に入って行くことの意味をより深く考えてみることにしました。

 このエジソンの非常識ゾーンへ自分を追い込み、非常識環境のなかで非常識な解決策を探究していくという独特の思考法、究明方法については、何か思い当たるところがあるように思われました。

 エジソンが教育しようとした若い方は、著名な大学出の超優秀な社員でした。

 それゆえに、エジソンは、かれ独特の非常識な教育方法を伝授し、その解決方法を実践的に教えたかったのだと思います。

 なぜ、この若い社員は、その課題をブレイクスルーできないかを、傍で観ていたエジソンは、ずばり、その原因を見抜いていました。

 非常識の問題を解決しようとして、かれは必死になって、その究明の手がかりを見出そうとしましたが、その方法をエジソンから観ると、いわば常識的な知見による解決方法に過ぎなかったのでした。

 「それでは、ダメだ!」

 こう思ったエジソンは、どのようにして、かれの非常識解決方法を教えようか、と考えて、上記のような非常識な環境下での探究を開始したのでした。

 ここで重要なことは、非常識なことを究明するには、常識的な環境のなかで、常識的な知見を基礎にしては無理である、ほとんど不可能に近い、という認識の問題でした。

 そのことをエジソンは体験的に取得し、高度に洗練させていたのではないでしょうか。

 そのことが理解できていなかったことから、その若い「優秀な社員」は、悪戦苦闘していたのでした。

 ここでおもしろいのは、非常識なすばらしいアイデアをひらめくには、自らを非常識の環境になかに置き、そこで一心不乱に夜も寝ずに考えさせ、さらに実践させ、試させるこの作業を繰り返させることによって、そこから重要な何かが生まれてくる、こうエジソンは体験的な教訓を身に付けていたのでした。

 この過程は、本田宗一郎がCVCCのエンジンを開発していったこととよく類似しています。

 かれは、数名の部下たちと共に、連日連夜、エンジンの改良に取り組み、朝の3時、4時まで試験を繰り返すことを続けました。

 「今日は、これで終わろう!」

 こういわれた部下たちは、その後も残って夜が明けるまでに次の改良を行い続けたそうです。

 なぜなら、その朝には、本田宗一郎がやってきて、再び試験を行うことが常としていたからでした。

 このホンダチームも、エジソンと同じように、非常識のエンジンを開発するために、非常識の環境下で、非常識の宗一郎と悪戦苦闘したのでした。

 このエジソンや宗一郎には、とても足元には及びませんが、私も、これらとよく似た細やかな経験をしたことがありました。

 次回は、その細やか事例に分け入ることにしましょう(つづく)。

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ラベンダー(前庭)