浦添市から沖縄市のホテルへ
琉球オペラ『アオリヤエ』に感動した私たちは、帰りの車のなかで、そのすばらしさを口々に語り合いました。
沖縄の浦添という小都市と沖縄芸術大学の関係者が中心になって、このオペラが発展していることに、沖縄の地域文化の根強さと先進的な開拓性を深く認識させられました。
主人公のアオリヤエや尚寧王のソプラノとテノールのみごとな歌声、そして彼女と彼を囲んだ合唱、少年少女の明るい歌と踊り、琉球古典の踊りなど、作曲家の新垣雄さんたちを中心にして、地域に根差したオペラという総合芸術の格調高さをまざまざと堪能させられました。
おかげで、お腹のなかも満腹になったような気分になって、それから連日の夕食におけるご馳走をいただいたので、その日の夕食では、なぜか、コンビニのお結びが食べたくなっていました。
「お結び2つ、それから枝豆、そしてサンピン茶をよろしくお願いします」
沖縄市のホテルに到着してから、これらをコンビニで購入してくることを依頼しました。
そして、私の方は、ホテルで懸案の原稿書きを続けました。
「もう沖縄滞在も半ばを過ぎたので、この執筆に積極的に取り組まねばならない!」
こう思って、お握りをかじりながら、それに没頭しました。
ーーー 久しぶりのお結びで、いつもよりもかなり美味しいね!
これで夕食を終え、ますます、原稿執筆に取り組んでいたところに、CD用の歌の吹き込み前の伴奏合わせ練習にいっていた家内が戻ってきました。
いつもよりも表情が硬く、落ち着きのない様子でした。
「声が出なくてさんざんな状態だった。
いつもよりも1割ぐらいしか声が出なかった」
といいながら、調子の悪さが、この言葉に現れていました。
連日、夜遅くまで、沖縄の風習に身を委ねて出歩き、しゃべりまくったことが、その調子の悪さを招いてしまった原因でした。
「そんな具合であれば、明日の恩納村への植物工場見学の予定は止めて、このホテルでゆっくり休養したほうがよいのでは?」
「私も、そう思います。
明日は、どこにも出かけず、ここで一日ゆっくり休みます」
歌手にとって、声が出なくなる、上手く歌えなくなることは致命的なことですので、そのような状態では、CD録音ができないことは明らかなことでした。
このような会話をしながら、家内は、私と同じように、コンビニのお結びを美味しそうに食べていました。
これで少し安心しました。
幼いころから70年以上も歌い続けてきたベテランであっても、ついつい沖縄の良さに入り込んで不摂生をしてしまったことが体調に現れてしまったのでした。
ハプニングの連鎖
故郷に帰って、沖縄の人情に触れ、夜遅くまで話し込んでしまったことが、このようなハプニングを招いてしまったようですが、もう一つ、運悪いことが重なっていたのでした。
それは、このオペラ鑑賞の日の前日において、宿泊先のホテルが、沖縄市の「中の町どおり」に面していて、折から日曜日だということで若い飲み客が、朝の四時ごろまで飲み歩いて嬌声を上げていたことで、家内はよく眠れなかったとのことでした。
しかも、その4時過ぎに、今度はホテルの非常ベルが鳴りだし、すぐに避難せよというアナウンスまでがあり、これによって眠りかけたところを突如起こされてしまいました。
火災か事故か、何かが起きたことによる緊急アナウンスでしたが、それらの気配が少しもなかったことから、結局、誰かが誤って非常ベルを押したのではないかと判断することになりました。
なにせ、従業員が常在していないホテルでしたので、客同士の話し合いと対応で、なんとか事態を切り抜けることができました。
こうしていくつものハプニングが重なり、それらが体調に影響して、思うように声が出なくなったようでした。
翌朝、私の方は面会の予定があり、恩納村の道の駅と植物工場に向かいました。
家内は、丸一日、ホテルで休養するとのことで、別行動となりました。
CD録音の日まで、丸一日休養できることが、真に「救い」でした(つづく)。
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