アオリエヤ(3)

 琉球オペラ『アオリヤエ』は、すばらしいものでした。

 「これが、沖縄の地域文化の底力なのか!」

 この思いを強く印象付けられました。

 冒頭の琉球舞踊に続いて登場したのが、子供たちでした。

 これは、長い間続けられてきた少年少女の合唱団活動の成果が示されていました。

 また、アオリヤエや尚寧王を演じられていたソプラノ(宮城美幸)やテノール(田里直樹)のアリアも爽やかで、聴きごたえがありました。

 これらのアリアの作曲は、すべて新垣雄さんによるものでしたが、その芸術性、民衆性、優雅性が如何なく発揮されていました。

 さて、このオペラのクライマックスが、尚寧王が、道路づくりの最中に不幸にも亡くなられたことから始まりました。

 アオリヤエは、その非業の死を悼み、夫の遺志を引き継いで自分自身が道路づくりを行うようになりました。

 彼女の出身であった首里王家は、そのことを好ましく思い、それを止めるようにいいますが、それでも彼女は意思を曲げずに、平民の身分になっても、民衆と共に、その道路づくりに
励む献身さを貫いたのでした。

 このアオリヤエと民衆の感動的な道路づくり、橋づくりを成し遂げて、夫尚寧王が祀られている浦添ようどれに、後になってですが、共にアオリヤエも眠ることになったことで、このオペラは終わります。

 王も妃も、そして、夫が死んだ後からも、民衆と共に道路づくり、橋づくりに勤しむ、このようなことは、大和の国では考えられないことであり、あり得なかったことです。

沖縄文化の凄さ、素晴らしさ

 ここに、沖縄独特の文化と生き様が示されています。

 彼女は、民衆に混じって道路づくりを行う尚寧を観ながら、それを見守っていました。

 この感動のなかでオペラを見終えて、改めて、沖縄文化の素晴らしさ、芸術性の高さを深く認識されられました。

 ところで、尚寧王の亡きがらは、琉球王家の墓地である玉陵(たまうどん)に祀られませんでした。

 その理由は、尚寧王が首里尚家の出身ではなかったことによるそうで、このオペラにおいても、そのような判断がなされていました。

 しかし、最近の研究においては、尚寧王自身が、「浦添ようどれ」の墓に入ることを希望していたことからであるという説も出てきているようです。

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尚寧王とアオリヤエが眠る浦添ようどれ(浦添市HPより引用)

 もし仮に、尚寧王が玉陵に入っておれば、妃としてではなく、民衆の身になってさえも道路づくりに努めたアオリヤエがそこに祀られることはなかったでしょう。

 そうであれば、共に、この「ようどれ」に眠ることはできなかったことから、当然のことながら、このオペラも成立しなかったはずです。

 「素晴らしかったね。さすが、沖縄だよ、沖縄文化の底力と凄さ、芸術性の高さを改めて認識させられました」

 こういうと、家内も同感のようでした。

 「あのオペラの凄さ、格調高さは、尚寧王の死後に、アオリヤエが、妃の身を無くしてまで民衆の一人として道路づくり、橋づくりを成し遂げたことにありました。

 これこそ、沖縄の力だと思いました。

 その力は、今にも生きているのではないですか」

 再び、家内は「そうですね」と頷いていました。

 こう感想を互いに語り合いながら、浦添から沖縄市へと戻っていったのですが、ここから、思わぬハプニングが起こり、互いに慌てる事態となりました。

 それについては、次回に分け入ることにしましょう(つづく)。

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鳳凰木の花(この紅い花はアオリヤエのようでした)