いよいよ2024年最後の月へ
霜月もあっという間に過ぎていきました。まさに、光陰矢の如しです。
このところ毎朝、緑砦館1ほかに入るのが癖になり、そこの植物を愛でるのが日課となっています。
目の前に、新たな生命の芽吹きがあると、心が温まり、安らぐことを覚えるからでしょうか?
ふしぎなものですね。
さて、今月も、この1か月間の記事を振り返ってみましょう。
「徒然に光マイクロバブル・沖縄紀行」
やや丁寧に紀行文を認めてきたせいでしょうか、すでに11回の記事を示し、その紀行は、これから後半に突入していくところです。
振り返れば、この沖縄行きは、今年の2月11日の家内の誕生日に何をプレゼントするかの問題に端を発しました。
この詳しい「いきさつ」については、いずれ別稿で述べることにしていますので、ここでは省略しますが、私としては珍しく「してやってり!」と思うようなことになり、その話がトントンと進んだことによっての沖縄行きとなりました。
この間8カ月余、この旅行の主役は家内でしたので、私は、それに合わせて、自分の都合と課題を見出していくという姿勢で臨み、それもよい方向に作用したのでした。
さて、実際の紀行文は、4日目の琉球オペラを鑑賞する直前のところまでの執筆で終わっていますが、これから、その鑑賞の感動、ホテルに帰ってからの執筆、そして家内のハプニングへと続いていきます。
その5日目は、恩納村への植物工場見学ほかへと展開します。
まだまだ、この紀行は17日までの8日間続きますので、お付き合いをよろしくお願いします。
アラマンダ(浦添美術館横の通路にて、ピントが合っていませんが、かえって幻想的です)
「創造の正体(5600回記念)」
今年の7月7日に第1回の記事を認めて以来、そのままになっていましたので、そのことがやや気になっていました。
じつは、この大それた課題に記念シリーズの記事にして、思い切って探究してみようと思ったものの、それにはかなり深い思索と考究が要るのではないかと思っていました。
その後も、その思いが強く、2回目からの記事の執筆に着手できないままに「まだ早い、まだできていない」と思う日々が続いてきたのでした。
そんななかで、つい最近になって、次の非常に刺激的な単行本に出会いました。
『怪人エジソン 奇才は21世紀に甦る』浜田和幸著 日本経済新聞社
これは真に痛快な内容であり、これまでのエジソン像とは異なるエピソードをいくつも有していました。
この強烈な刺激を参考にしながら、この大それたテーマについて挑むことにしましょう。
「スナップショット凱風快晴」
すでに50回以上となり、このシリーズが上手く定着しています。
最近は、写真画像のなかに俳句を載せた、いわゆる写真俳句が定番となっています。
よい写真には、よい俳句をと考えて頭を毎回捻ってはいますが、なかなか、よい出来栄えのものを生み出すことはできずに苦労しています。
そんな時には、松尾芭蕉の奥の細道における俳句作りを想い起し、さらには、写真俳句を推奨していた森村誠一さんの句づくりを参考にしていると、なんとか拙句ができあがるという具合でした。
現在は、「沖縄の秋」というシリーズものを連載中であり、その撮影を行った時のことを思い出しています。
今しばらくは、このシリーズを連載していきます。
須らく雫の石を穿つ如くⅡ(5555回記念)
いよいよ、シーボルトの弟子のなかでも一際歴史に残る仕事をした一人である高野長英について取り上げるところにまでやってきました。
かれは、シーボルトが開設した鳴滝塾が初代塾頭の美馬順三らの献身的な努力によって軌道に乗り始めてた初期の段階から、不幸にも、その美馬がコレラによって急死した後に、二代目として抜擢された岡研介の時に入塾しました。
それは、鳴滝塾に全国から大勢の弟子入りがなされ始めた時期での弟子入りでした。
また、鳴滝塾のオーナーであったシーボルトにとっては、オランダ政府から指令されていた日本研究の実施を、その弟子たちが担って多方面で活動し始める時期でもあったことから、高野長英は、その弟子入りと共に、その日本研究の任務を熟していくことになりました。
長英にとっては、兄と共に半ば家で同然の姿で江戸に出て蘭学を学ぼうとし、その生計を按摩で立てるという、いわば、自立自存の思いを確立していたことから、その精神に依拠して鳴滝塾に入門したわけで、自分の人生を賭けた一心不乱の勉強でした。
そして、かれ特有の優れた語学力でオランダ語の読み書きの才能を発揮し、シーボルトからは、哺乳類としてのクジラの研究においてドクター論文を書くようにいわれたのでした。
クジラは、その鯨油が貴重品で重要なビジネス商品になっていたことから、非常に重要な研究テーマでした。
このように、近々の記事においては、今一度、高野長英とシーボルトの関係を深掘りしていく予定です。
また、終生の友となった二宮敬作との親交についても分け入ることにしましょう。
「未来を切り拓く若者たち(5250回記念)」
現代を代表する若者として大谷翔平選手と藤井聡太七冠の活動を追跡しています。
前者は、3度目のメジャーリーグMVPを勝ち取りました。
肘の手術という身体的問題を乗り越え、それをリハビリしながらの打者としてのシーズンでしたが、かれはそれを立派に、そして誰もが推測できなかった成績を成し遂げ、世界中の人々から注目されるようになりました。
今年のメジャーリーグにおいて最も象徴的な出来事は、ワールドシリーズ決勝戦の第五戦において、ドジャーズが0対5から大逆転したことでした。
アーロン・ジャッジのエラーから始まって、他の選手にも、そのエラーが起こり続けました。
そして、ヤンキーースのエースで冷静沈着のコールまでが動揺して、思わぬエラーをして同点の5対5になりました。
今想い起こしても、この時の試合の様子は、非常に緊迫感があり、信じられない展開の連続でした。
試合後のコール自身が告げたように、その展開は「残酷」なものでした。
この試合の結果は、大谷選手を中心に団結したドジャーズの制覇とヤンキースの敗退となり、そのヤンキースは、外の退団・移籍、そしてキャプテンだったジャッジの退団、メッツへの移籍、さらには、コールの肘手術問題の発生という、ヤンキースファンにとっては悪夢のような出来事が続きました。
コールは、「大谷がドジャーズを変えた」といったそうですが、私から見れば、「大谷がヤンキースを変えた」のではないかと思われます。
この変革力は、大谷選手の野球人としての能力だけに留まらない、人間力、人格力が深くかかわっているのではないでしょうか。
さて、もう一方の藤井聡太七冠は、佐々木勇気八段と壮烈な竜王戦を展開されています。
この戦いが、非常におもしろくて素晴らしいのは、両者ががっぷり四つに組んで、互いに全力で対戦していることにあります。
そのことは、先手になった方が必ず勝利していることに現れており、しかも、その先手の勝ち方が、常に圧倒的に優れていることになります。
現在は、藤井威七冠の3勝2敗ですが、次の第六戦は、佐々木八段が先手になります。
かれの作戦と奮闘が見ものですね。
「ひまわり(5700回記念)」
このテーマの出だしは映画「ひまわり」についてであり、次に、ゴッホの「ひまわり」のことを認めました。
現在は、そのゴッホの「ひまわり」についての後半部分に至っています。
しかし、これらは、次の、いわば本命といえる「ひまわり」のための前段に相当するものと考えています。
しかし、この本命の「ひまわり」の部分をどう打ち出していくのかが難しく、その構想をどうねっていったらよいのか、これに悩みつつ構想を温めている、これが今の状況としってよいでしょう。
さて、この本命の出だしをどうするのか、そしてその展開をどう成していくのか、これらは非常に難しい問題であり、今一つ、その考究が必要ではないかと感じています。
その意味で、映画「ひまわり」とゴッホの「ひまわり」を再度探究し直すことも必要なことではないかと考えています。
おそらく、この第三の「ひまわり」が登場してくるとなると、かなりのロングラン記事になっていきますので、そのことも含めて、用意周到な準備が必要ではないかと思っています。
以上で、今月のガイダンスを終わります(つづく)。
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