一番星
約50年前、琉球大学が首里城跡にあったころに、私が勤務していた理工学部土木工学科のビルは、今の守礼の門から歩いて30秒の位置に建てられていました。
夕方になると、この最上階に続く階段に上って眼下の那覇市の光景をよく見渡していました。
空には、金星が一際鮮やかに輝いていて、沖縄の人々は、これを「一番星」と呼んでいました。
沖縄にはほとんど知人・友人がいなかったことから、赴任当初は、よくこの階段の最上段に上がって、この夕暮れの景色をしばらく見ることが、私の趣向になりました。
その時、西の空に輝いて見えた一番星は、いつも美しく、鮮やかで、私を励ましてくれました。
この輝きを見ながら、しだいに夕闇が迫ってくる幻想的な光景に、いつも心を動かされていました。
今回の沖縄旅行において、久しぶりに、この一番星にめぐりあうことができました。
これは、うるま市川田のアパート2階からの光景です。
この写真の上部における小さな光の点状のものが一番星です。
一番星といえば、もう一つの沖縄にふさわしい話題があります。
それは、1998年11月にリリースされ、不滅の名曲となった「涙そうそう」です。
歌詞は森山良子さんであり、作曲はビギンに依頼しました。
彼女は、沖縄に対しても想いが深く、一大名曲の反戦歌「さとうきび畑」を唄っています。
さて、「涙そうそう」の2番に、この「一番星」のフレーズがでてきます。
「一番星に祈る それが私のくせになり
夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
悲しみにも喜びにも おもうあの笑顔
あなたの場所から私が見えたら
きっといつか会えると信じ 生きてゆく」
これは、森山さんが、すぐ上の兄を慕って作詞されました。
彼女が、ある日一番星を見た時に、その兄が一番星になって語り掛けて励ましてくださったのだそうです。
この名曲は、私が沖縄を離れてから24年後に生まれましたが、この歌を耳にするたびに、私も、この一番星のことを思い出していました。
夕暮れの一番星を見る、これが私のくせになり、夕暮れに見上げた空は、いつも美しく、これから、沖縄でどう生きていくのかを考えさせてくれました。
残念ながら、この時、この歌詞にあるような「おもう笑顔」の人はいませんでした。
後に、映画『涙そうそう』を見ましたが、ここで若い長澤まさみさんが好演技をなされていました。
この名曲とともに、本映画も思い出ふかいですね。
結局、私の沖縄滞在は2年と短かったのですが、沖縄へは一人で赴任し、その帰りは二人となりました。
私の一番星の願いが叶えられたように思われました。
次回は、沖縄紀行の3日目を紹介することにしましょう(つづく)。
コメント