明日から霜月へ
10月も末日を迎え、今月のガイダンスを行います。
今月は、10日~17日まで沖縄旅行に出かけていました。
すでに、その紀行文を執筆し始めています。
未だ、それが二日目ですので、しばらくは、この「沖縄紀行」を連載していくことになるでしょう。
数年ぶりの沖縄旅行でしたし、今回は、ほとんど沖縄での活動を控え、原稿執筆に専念することにしていましたので、その作業をかなり進行させることができました。
おかげで、年末までの2カ月間で、この執筆を進展させることができそうなので、その意味でも重要な沖縄旅行になりました。
以下、今月のブログガイダンスです。
「徒然に光マイクロバブル・沖縄紀行」
すでに述べてきたように、この沖縄紀行は、比較的丁寧に執筆していますので、やや、その進行が遅くなっています。
せっかく、久しぶりに沖縄にやってきたのだから、ゆかいに書いていこうと思ったことがそうさせているのではないでしょうか。
次回は、沖縄料理(2)について執筆する予定ですが、真に健康的で美味な料理の数々を紹介していくことになるでしょう。
また、旅行半ばにおいては、琉球オペラ『アオリヤエ~ようどれに眠る愛~』を鑑賞しました。
沖縄の芸術力と文化力の高さがみごとに表現されたオペラであり、今も、その感動の余韻が残っています。
そして後半は、植物工場の見学、そして今回の旅行のメインであった家内のCD録音へと進んでいきます。
当初の予定は、一日一稿の予定でしたが、今の調子では、その倍近くの分量になりそうなので、これもおもしろく、ゆかいに執筆を重ねていく予定です。
「光マイクロバブル・イノベーション(4850回記念)」
この執筆は、1)光マイクロバブル発生装置の開発に至る約15年間において改良に継ぐ改良を重ねてきたことを丁寧に紹介していくこと、2)マット・リドレーの「イノベーションの本質」を参考にしながら、光マイクロバブル技術のイノベーションが可能かどうかを検討する、という2本柱での執筆を行ってきました。
このうち1)の執筆を終えることができましたが、ここで少々驚いたことは、じつに20もの改良の積み重ねの結果として、新たに光マイクロバブル発生装置が完成したことでした。
これまでは、その詳細を叙述したことがなかったことから、それを今回初めて詳細に調べて丁寧に執筆して初めて、それが容易なことではなく、短期間に成就できるものではなかったことに気付きました。
今振り返れば、光マイクロバブル発生装置の開発は、それだけ困難を伴うものだったようで、それを粘り強く、コツコツと改良を重ねていったことに小さくない意味があったように思われます。
この1)を踏まえて、次の2)をより詳しく探究していくことが重要です。
そのために、マット・リドレーの「イノベーションの本質」論を踏まえて光マイクロバブル技術のイノベーション性を考察していきますが、それに関しては、単なる理論的な検討ではなく、具体的に生起している事例を踏まえて論究することが非常に重要であり、説得力があるのではないかと思っています。
その意味で、このイノベーション論の探究は、これから本格的な問題に突入していくといってもよいでしょう。
さて、これが、どのように展開していくのか、私自身にとっても興味深いことですので、その考究に励みたいと思います。
須らく雫の石を穿つ如くⅡ(5555回記念)
はるか地球の裏側のドイツからやってきた27歳の俊英シーボルトが、長崎の出島で活動を開始すると、そこに、続々と日本の若き俊英たちが集まり始めました。
それが、初代および二代目の鳴滝塾頭、美馬順三や岡研介たちでした。
かれらは、いずれも幼いころから勉学で身を立てようとしてきた英才たちであり、オランダ語や蘭医学を熱心に学んできた経歴を有していました。
しかも、シーボルトの来日を知り、即座に弟子入りを願って駆け付けた若者たちであり、かれらは、シーボルトにとっては願ってもない弟子であり、同士たちだったのです。
とくに、医学のみならず、自然学においても、かれらは、シーボルトの指示に従って柔軟にかつ優秀に取り組むことができたことをシーボルトは非常に喜んだのでした。
この弟子入りは、次々に増えていき、高遼斎、二宮敬作、高野長英、伊藤玄朴と続いていきますので、それらの俊英たちが大活躍するようになります。
それゆえ、このシリーズも、最初の本格的な山場を迎えることになるでしょう。
「未来を切り拓く若者たち(5250回記念)」
現代をたくましく生き抜いている若者の代表として、大谷翔平選手と藤井聡太七冠に注目してきました。
かれらの素晴らしさは、野球界や将棋界の常識を根本的に変え始めていることにあります。
また、それらが、かれらの人生観と人格に深く関係していることが注目されていることにあります。
さらに、かれらは、決して嘘をいわず、誤魔化しもせず、言葉で華美に装うこともしません。
素直に、思っていることを、そのまま言葉にして語ることを大切にしています。
そして、自分の信念を地道に貫き続けることが、さらにファンを引き付けています。
その素直さが、ファンにとっては、自分と同じだ、近いという意識を生成させています。
かれらのプロとしての土台形成は、野球好き、将棋好きを最優先させて、それを粘り強く遂行し続けていくことによってなされています。
ここが、他の選手や棋士たちと異なっている点であり、そのために、すべてを注ぎ込むという修練がなされています。
この姿は真に爽やかであり、少なくない方々を魅了させるに十分といってよいでしょう。
これから、どこまで活躍していくのか、かれらの前には、前人未到の荒野が観えているでしょう。
しかし、かれらは決して、それに怯むことなく、闘志を抱いて、自分の心の命ずるままに生きていくことでしょう。
この天晴な姿をみなさんとともに観察していくことにしましょう。
「ひまわり(5700回記念)」
このテーマは、長年にわたって温め続けてきたものです。
その冒頭においては、映画「ひまわり」の主演女優であったソフィア・ローレンという大女優を紹介しました。
彼女が、ウクライナの台地一帯に咲いていたひまわり畑のなかを行方不明の夫を探して周るシーンは非常に印象的でした。
このひまわりが咲き並ぶシーンに心を揺さぶられた日本の若者がいました。
それが、オフコースの小田和正さんで、日本武道館での「言葉にならない」の演奏は、多くの視聴者の心を揺さぶりました。
そこには、あの映画「ひまわり」のシーンが写されていて、そこを歩いていたソフィア・ローレンの姿を思い出すことができました。
小田さんの「言葉にならない」は、視聴者の心のなかに、あのひまわり畑と共に、深く、そして長く刻まれていったのでした。
そして、3つ目の若者は、パリからアルルへと南下して、日本の光景を探そうとしたゴッホでした。
かれは、オランダからパリへと移って絵画の勉強を懸命にしていたのですが、それでも自分の境地を得ることができずに、新天地としてアルルに行くことを決意し、そこに日本と同じものを見つけようとしました。
そして、そこで絵を描き始めましたが、それだけでは満足できずに、多くの同僚を、そこに呼んで共同生活を試みようとしました。
それも、日本の画家たちが共同生活をしているという情報を耳にしていたからでした。
その同僚たちを迎えるために必死になって描き始めたのが「ひまわり」の連作でした。
おもしろいことに、その思いを込めた連作が、ゴッホの画家としての独自性を磨かせ、新たな境地と画風を創造させたのでした。
当初の予定では、「ひまわり」を12作書く予定でしたが、それは7枚に留まりました。
しかし、これらを描き遂げたことで、かれは、みごとに名画家としての境地に辿り着くことができたのでした。
さて、このゴッホの「ひまわり」については、今しばらくの間、その叙述が続きますが、これも本シリーズの「書き出し」でしかない、そういってよいでしょう。
それでは、そのゴッホの後は、誰が登場してくるのか、読者のみなさまにおかれましては少々気になるのかもしれませんが、それは内緒にしておきましょう。
こう考えると、この5700回の記念シリーズは、かなりのロングラン記事になるのではないかと予想しています。
「OIだより(4800回記念)」
すでに約三カ月前から、㈱ナノプラネットネブラの若手社員D君との共同研究が始まっています。
毎週月水金の午後5時から1~2時間において、具体的な実験がなされ、それがしだいに科学的な発展の兆しが見え始めています。
新たな実験結果が、新たな物理的用語の定義の必要性を明らかにし、その定義の決定によって、より新たな奥行きが観えてきて、さらに、その科学的究明が進んでいくという弁証法的パターン形成がなされています。
こうなってくると、D君の認識も発展してきて、ますます意欲的に取り組むようになるという、一種の好循環サイクルが形成されています。
こんな矢先、沖縄の恩納村に設置されている植物工場において、そこに40機の光マイクロバブル発生装置の導入(すでに設置稼働済み)の話がまとまりました。
先日は、ここを訪れ、その素晴らしさを確認してきました。
これから、本植物工場は、その機能を大いに発展させることになるでしょうし、沖縄の野菜市場に重要な問題提起を行うことになるでしょう。
室内での実験と室外での設備投資の成果を共に探究しながら、それらをどう結び付ていくのか、それがOIにおいてより深く問われることになるでしょう。
そのための「OIだより」ですので、これを持続的に更新していくつもりです。
以上で、今月のガイダンスを終わります(つづく)。
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