未来は青年のもの (18)
竜王戦
先日は、藤井聡太七冠と佐々木勇気八段の竜王戦第3局がありました。
一勝一敗の後で、互いに非常に重要な戦いであり、本局の先手は藤井威七冠の方でした。
前半は、互いにがっぷり四つに組んで堂々とした戦いを繰り広げていました。
それが、二日目の後半戦になって、互いに緊迫した指し手が続き、長考を行っていましたが、ここで微妙な読みの違いが出始めたそうです。
藤井七冠は、これで相手を押し込め、自分が優勢になると読み切っていたのに対し、一方の佐々木八段の読みは、それとは逆で、自分が優勢であると判断していたのでした。
このことは、かれが投了した直後にいっていた次の言葉においても裏付けられていました。
「自分が気が付いたときには、どのようにしても挽回できない局面になっていました。
これを何とか改善しないといけないと思います」
これは、局面を十分に挽回できる局面において、その劣勢を自分で気づく必要があることを示唆していました。
また、上記の互いの読みの違いは、その後の感想戦において、より明確になりました。
さて、この終盤手前における読みの違いとは、何を意味するのでしょうか?
これは、単に読みの深さの問題ということでは片づけられないのではないでしょうか。
相手の方は、自分が優勢だと思って指そうとしているのに対し、自分の方は、そのことを承知しながらも、それを逆転させる指し手を探し、それをより確実に一歩一歩実現させていく、この戦術に優れるようにしていく、これをどのように実現させていけばよいのでしょうか?
ここには、不利なことを逆に有利にしていく創造性の問題が横たわっているように思われます。
将棋の駒が互いに衝突し合って、戦いの火ぶたが切られると、相手を切っては、切り返されるという、数段高次の戦いが開始されます。
こうなると、そこでの有効な指し手の数は、数倍以上に膨らんできて、それを読み込みながら、最適の指し手を選択していきます。
この数倍も増えた指し手のなかから、最もよいと思われる手を探し出し、それを打った後に何が起こるのかを予測し、優勢に結びつけていく。
この過程において、この最適な指し手をひらめくことにおいて、藤井七冠特有の創造性が発揮され、その解説者やAIであっても想定できないような手を思いつく、これに優れているのだと思われます。
このひらめくことに関する創造性は、おそらく、タイトル戦における実践の場において、その思考修練を積み重ねていくなかで一歩一歩洗練されてきたものであり、そこに、藤井七冠と佐々木八段の差異が生まれているのではないでしょうか。
この豊かで優れた創造性の養成は、それこそ、タイトル戦を勝ち抜く中で少しずつなされてきたものであることから、そこに藤井威七冠の強さと優位性があるように思われます。
実際の竜王戦第三局の終盤戦においては、二枚の角の打ち込みによって優勢を確実にしていきました。
おそらく、この時点において、佐々木八段は、自分の方が優勢ではなく、劣勢であることに気付かれたのではないでしょうか?
この時の判断が、上記の佐々木八段の言葉として現れた瞬間だったように思われます。
その後は、その優勢をずっと維持して、最後に佐々木八段が投了に至りました。
この終盤に差し掛かった時の両者の持ち時間は、藤井七冠約30分、佐々木八段約120分と大差がついていましたが、ここから佐々木八段が追い込まれて持ち時間のほとんどを使い、逆に藤井七冠が持ち時間において余裕を持つという逆転が起こりました。
これは、藤井七冠を倒すための佐々木八段の時間作戦でしたが、それでも最後には自分の方が少なくなってしまい、「気づいた時には、取り返しの利かない劣勢になっていた」ようでした。
第4局は、再び佐々木八段が先手になりますので、その「気づいた時の劣勢」に陥らないように跳ね返して、互角のタイに持ち込んでいただきたいですね。
この真摯な若者たちの潔い戦いは、将棋の未来が、かれらに託されていることを示しています。
次の第4局における互角で熾烈な戦いが繰り広げられることを楽しみにしています(つづく)。
ニトベカズラ(沖縄市Z氏宅)
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