アウトプット型スタイルのすすめ

 和田秀樹さんは、『70歳が老化の分かれ道』の第二章において、この「すすめ」を強調されています。

 脳の前頭葉の働きを促すには、インプット型ではなく、アウトプット型の脳の活動が好ましいとされています。

 この場合、インプット型とは、テレビを見る、インターネットを引用する、本を読む、人の話を聞くなど、常に受け身の状態で知識を得る、知らないことを知る、情報を受けるなどの行為のことをいいます。

 このような受容方式においては、脳の前頭葉が活発に刺激され、働くことはほとんどない、これが、かれの重要な見解なのです。

 それでは、その反対の「アウトプット型」とは、どのようなことをいうのでしょうか?

 当選のことながら、これによって、前頭葉が活発に働くようになることが期待されますが、それは、どういうことなのでしょうか?

 私自身は、このようなアウトプット型になっているのかどうか?

 やや気になりながら、読み進めましたが、著者は、このように述べています。

 「得た知識を、これまでの経験や他の知識を使って加工し、『自分の考え』として述べる時に前頭葉は活性化されるのです」

 さらに、こう続けています。

 「知っているだけで、頭がいいのではなく、本来頭がいいというのは、得た知識を自分なりに加工してひとつの考えを提示し、その意見や考え方がすばらしいというときに、その人へ与える評価だと考えています」

 これらを考慮すると、現在、日本中賑わし、自民党や立憲民主党の総裁選、代表戦をも吹っ飛ばしてしまう国民的関心事のS知事の言動が、私の脳裏に浮かんできます。

根深い民主主義と人間性

 ここには、非常に重要な根深い民主主義と人間性の問題が横たわっています。

 最初の問題は、自立した大人になっていない「幼稚性」が顕わになっていることです。

 かつて、おそらく20年以上も前のことだったと思いますが、ある教育学者から次のような話を聞いたことがありました。

 「昔は元服して大人になり、戦後は20歳で成人して大人になるとされてきました。

しかし、今は、その成人年齢が遅くなり、大人になるのは34歳になっています」

 以来、そのような視点で、他人を観るようになりました。

 ところが、このS知事の一連の言動を視ていると、この成人年齢が、34歳から、さらに高齢化しているのではないか、こう思うようになりました。

 報道によれば、このS知事は43歳だそうで、真に幼稚性に溢れた言動を見せ続けています。

 どうして、このような幼稚性に富む人間ができ上ってしまったのか、その病理性の深さを覚えています。

 たとえば、告発された当事者を中心にした犯人捜しをさせたこと、そのことが違法であること、正しい客観的調査をしないままに、「嘘八百」、「公務員失格」、「誹謗中傷」などの口実で処分し、退職を延期させたことが指摘できます。

 さらには、告発者のパソコンを調査し、そこから、「クーデター」、「革命」などという用語を拾い出し、県政を転覆させようとした意図を持っていたことを処分理由にしていたことなど、民主主義とは全く縁遠い「独裁的行為」を繰り広げていたことも明らかにされています。

 また、数あるお粗末で幼稚な発言のなかでも、「お土産」にもらったものを秘書課の職員に配るのは不公平で問題があるから、自分がすべてを持ち帰ったと公言したことも、恥ずかしさに満ちたことです。

 この問題は、みんなで公の仕事をするという民主主義の基本が問われていて、そのことを全国民によく理解していただく、非常によい教材を供給しているように思われます。

 物をよく知っていて賢い、これでは、世の中に通用しない、そしてその幼稚さが、何をすべきかを究明できないようにさせ、墓穴を掘っていく、その具体的様をリアルに示しているように思われます。

 東京大学を出て総務省の役人になる「賢さ」はあっても、その幼稚性のために、自らカサンドラクロス号の谷落ちをしてしまう幼稚性のアウトプット、この民主主義の是非が問われているのではないでしょうか。

 自分が得た知識の意味と価値をよく考え、それを咀嚼して自分自身の考えとしてしっかり確立していく、安易に、他人から得た知識に飛びつかず、乗っからず、自分の進むべき道を誤らないようにする、このような大人の対応を前頭葉にさせることが重要である、あらためて、そう思いました(つづく)。

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ミモザ(前庭)