70歳が老化の分かれ道(2)
和田秀樹著の『70歳が老化のかれ道』は、非常に簡潔な文書でありながら、真に説得力のある銘茶だと思いました。
すでに26刷りを終えたベストセラー本ですが、精神科医としてのプロが解りやすく語る「70歳論」には、小さくない素晴らしさを覚えました。
そこで、その第二章「老いを遅らせる70代の生活」の内容を参考にして「70歳論」を考察してみましょう。
(1)何事においても「引退」などをしてはいけない
著者は、80歳代を元気に過ごす秘訣は、最後の活動期である70歳代の過ごし方が鍵になることを強調されています。
企業などに勤めていた方が退職し、その後何もやることがなくて引退状態になると、一気に老化が進む事例がたくさんあるそうです。
この原因は、脳の前頭葉の働きの衰えと関係しているようで、やる気をなくす、人と会うのが億劫になる、家に閉じこもってしまうなどの現象が生まれるそうです。
もともと前頭葉の働きは、創造性の発揮や他者への共感、予期せぬことに対する即応力に関係しているようです。
何か新たなことを考え、実践する力、他社と協力し合う基本となる共感力、予期せぬ事態に至ってもそれに立ち向かう勇気などが衰えてしまう、これらの現象は、コロナパンデミックの際によく見かけたことでした。
それらの現象を揶揄して、「ヘタレ込む」という言葉もよく使用されていました。
「引退」を受け入れることには、このような危険の因子を発生させる危険性があったのです。
少しも引退せず
前職場において退職した時の年齢は63歳でした。
このT高専最後の年には、私の人生にとって非常に大切なことがありました。
それは、2011年3月11日に東日本大震災が発生し、「これは大変なことになった!」と思っていたら、その直後に、科学技術振興機構・社会技術開発センターからの緊急支援のプログラムの募集がなされました。
「もしかしたら、これがT高専最後の仕事になるかもしれない」と迷わず、この公募に申し込みました。
大きな被害を受けた大船渡湾におけるカキ養殖改善をテーマにした申請でした。
これは、上記センターのトップの方が語られていたことですが、最終選考に残った私どものプログラムに対して、それを採択するかどうかで意見が分かれていたそうでした。
その主な理由は、同センターにおいては、高専からの申請が初めてであり、これをどう判断するかで議論が沸騰していたのでした。
その他3件は、地元の大学を含めて有名大学だったので、そこに高専が入り込むことにかんしては、かれらなりに勇気のいる判断だったようでした。
そこで、研究代表者の私のこと調べられたそうですが、そこで彼らが驚嘆したことは、私の文部科学省科学研究補助金の受託実績でした。
基盤研究A、Bほか約20件前後の実績を目にして、決して大学の先生に引けを取らないことを理解されたようで、最終的には、その実績が決め手となったことを面接の際に教えてくださいました。
高専では、研究費がもともと少なく、しかも、それを私はほとんど使用せず、助教授と助手の先生に使っていただいていましたので、私は、この補助金と企業との共同研究によって外部資金を確保することに傾注していました。
上記の基盤研究Aの時の採択者は、高専では私一人、大学でも工学部で1件の採択があるという難関でした。
また基盤研究Bにおいては、2つのテーマが同時に採択されたこともあり、この時は忙しさも2倍となり、担当の事務からは、「本当に年度内に補助金をすべて使い切ることができるのですか?」と何度も尋ねられました。
さて、この大震災緊急支援プログラムの採択を受けた際に、私の人生において小さくない「選択」の問題が発生しました。
同センターの採択金額は700万円であり、それを1年で使用するという計画でした。
ところが、その担当職員が来られて、私にこう尋ねました。
「申請書では、単年で700万円ですが、これは、3年間で実施することも可能です。
その場合には、単年ごとに500万円、3年間で1500万円の支給になります」
いきなり、こういわれて、一瞬、どうしようかと戸惑ってしまいました。
この時の心境を包み隠さず、いえば次のようでした。
ーーー 思いもしなかったことを提案され、これは困ったなぁー。
それを延長できるとは少しも思っていなかった。どうしようか?
当初の予定通りのことを行うとえば、それで済むが、3年に延長するということであれば、新たにさまざまな問題を検討する必要が出てくることになりそうだ!
そのさまざまな問題とは、次の相反でした。
1)たしかに、カキ養殖改善においては、わずか10カ月という短期間しかなく、翌年からの2年間を含めた3年の研究期間を持つことできることは、研究条件としては非常に好ましいことである、
2)しかも、トータルの研究費の総額も2倍以上になるので、かなりの実践的研究の発展を遂げる可能性が出てくる。
3)この発展は、かなりの社会実装効果を生み出し、それを世間に披露することができる。
4)このプログラムを3年に延長して継続することによって、初の高専連携プログラムをより一層発展させて、その典型的モデルを構築できる。
5)しかし、私の定年退職は自分で決めていたことであり、それを覆すとなると容易でない問題がいくつも発生してしまう。
6)すでに、定年退職に備えて。この約5年間、さまざまな準備をしてきた。
定年後には、㈱ナノプラネット研究所の研究開発本部長への就任、㈱ナノプラネット代表取締役就任が内定していた。
また、定年直後から、技術開発、商品開発に真正面から取り組むための準備をしていた。
さらには、官舎住まいだった私は、退職後の場所とそこでの新居づくりを行う必要があった。
7)T高専の事務には、内々に退職するかどうかを尋ねられていた。
8)新しく赴任された校長は、非常に科学技術振興機構と親しい関係にあったそうで、その校長に相談すると、定年退職の予定が覆る可能性もあった。
また、高額の外部資金が入ってくることは、T高専にとっても非常に好ましいことであり、このプログラムを成功させることは、T高専のみならず多くの高専にとっても歓迎される好ましいことであった。
これらが次々に頭を過りました。おそらく、8)の選択をすれば、私の近未来はどうなるかわからない、それでは、かなりのことを考え直さなければならなくなる、こう判断して、8)の選択は行わない、そして、当初の予定通りでお願いしますという決定を申し述べたのでした。
わずか、10カ月余だけど、思う存分に、この東日本大地震緊急支援プログラムの実行に打ち込もう、こう決めた時の清々さを覚えています。
今から振り返れば、高専最後の年に、東日本大震災緊急支援プログラムを遂行し、新たな土地として2つの会社の新家屋と新居を建設することを選択し、決して「引退はしない」という道を選択したのでした。
おかげさまで幸いにも、それから12年を経過しても、その信念は貫かれており、私の頭の前頭葉は鍛錬され続けています。
次回は、この分かれ道に関して、よりおもしろく分け入っていくことにしましょう(つづく)。
夕日に照らされた垂直上昇中の旅客機(国東向陽台から撮影)
コメント