マンジェリコン

 緑砦館1のBレーンにおいて試しに移植したマンジェリコンが、大きく成長し始めました。

 もともと、この植物は南国の沖縄産であり、今は亡き祖母から苗ひとつを送られてきたものでした。

 それを家内がプランターに移植して大事に育てていました。

 屋外では冬場に枯れてしまいますので、緑砦館1の一隅に、その栽培ゾーンを設けました。

 しかし、冬場において枯れてしまうことはなくなったものの、その成長は芳しくなく、葉っぱの色も、黄色味を帯びていました。

 それを眺めていて、これをBレーンに3株ほど移植して試験をしてみることを思いつきました。

 この移植当初は、あまり成長が芳しくなく、非常にゆっくりとした変化でした。

 それでも、新たに小さい葉が出てきていましたので、気長に見守り続けていました。

 おそらく、マンジェリコンの水耕栽培が行われた事例はないのではないかと推察していました。

 それでも、新たな緑色の小葉が出てきて、それが、光マイクロバブル水耕栽培が定着し始めたシグナルだと思いました。

 この様子を家内に報告したら、非常に喜んでいたので、さらに約10株をBレーンに移植しました(3月頃)。

 これらは、さらに定着と成長が遅く、わずかに小さな葉が新たに形成されただけでしたので、これもまた、気長に成長を待つことにしました。

比較

 ところが5月になって、この新葉の様子に変化が急に起こりはじめ、葉の数が増え、そのサイズも数㎝前後になっていました。

 「どうやら、マンジェリコンが、光マイクロバブルを気に入ってくれたようだ!幸いにも一つも枯れることなく育っている」

 このマンジェリコンは家内の母の形見のような存在でしたので、彼女は、さらに喜んでいました。

 「もっとたくさん、増やすとよいですね!」

 「そうだね、Bレーンの上流端(90㎝×1.5m)をマンジェリコンゾーンにしようか!」

 こういって、その苗が植わったプランターを一つ取り出して、その移植の準備を行いました。

 昨日、そのマンジェリコンの苗の根洗いを娘がしてくれていましたので、今朝は、その移植を緑砦館1のBレーンに行いました。

 そのなかは、相変わらず蚊がいて襲ってきましたので、蚊取り線香を2つ焚いて、ついでに窓も締めましたので、そのなかはサウナ状態に近くなり始めていました。

 この暑さは、もう限界と思うようになって、蚊も退散したらしく、窓を開けて、涼しい風が吹き込んでくるなかで、マンジェリコンの苗の移植を2か所で行いました。

 まずは、Bレーンの最上流端に24株を移植しました。

 ここは、日光がよく射しこみ、風も通るところですので、南国育ちのマンジェリコンにとっては適したところではないかと思って、すでに、その上流端から50㎝下流のゾーンにマンジェリコンの移植を済ませていました。

 これによって、上流端から約1m、そして幅は90㎝の領域にマンジェリコンが植わったことになります。

 次に、根洗いを行った苗がまだ残っていましたので、その苗16株を上流端から約3m付近に移植しました。

 ここには春キャベツが植わっていましたので、その古株を撤去して代わりにマンジェリコンを移植しました。

 すでに、マンジェリコンの移植は、上記のように第1次と2次を終え、その成長を踏まえて第3次を先日行い、さらに本日、その第4次移植を済ませました。

 これで、プランターで育てていたマンジェリコンの苗の大半の移植を終えたことになりますので、これからの成長をゆかいに観察していくことになりました。

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マンジェリコン(移植前の状態、2023年12月2日撮影)

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マンジェリコン(移植後、第二次分)

祖母のプレゼント

 私がマンジェリコンのことを知ったのは、沖縄の祖母から、その乾燥葉が送付されてきた時でした。

 その解説書には、これをお茶にして飲むという習慣が、沖縄の伊平屋島にあり、血糖値を押さえるのによいと記されていました。
 
 そして、この伊平屋島を中心にマンジェリコンの栽培が行われるようになり、沖縄の名産になっていったそうです。

 伊平屋島はハブのいない島だそうで、風光明媚なところで、いつか訪れてみたいと思っているところです。

 その糖減茶は、やや苦味がある味でしたが、それに慣れると、それがかえってよく、以後10年近く愛飲してきました。

 そして、それを送付してくださった祖母のことを思い出し、感謝することができたお茶でもありました。

 沖縄戦において幼い弟を背負って逃げた際に米軍に追われ、気付いたら背中の弟が打たれ、死んでいたという悲しい経験をなされた方でした。

 「戦争は、絶対ダメ、だからデニーを必ず応援する!」

 いつも、こういわれていました。

 さて、その祖母の思い出が込められているマンジェリコンですが、その大きな手に平大の葉を2枚とってきて、それを大きなヤカンに入れて煎じることによって糖減茶ができあがります。

 これが、家内の糖減茶づくりの方法です。

糖減作用の研究

 これを参考にしながら、このマンジェリコン栽培方法と光マイクロバブル糖減茶づくりを少し研究してみようと思い始めました。

 前者については、その成長を観察することによって可能になります。

 この光マイクロバブル水耕栽培によってマンジェリコンがどのような固有の成長を遂げていくのか、これは非常に興味深い研究テーマになりそうです。

 また、後者については、その味と糖減作用がどのように発揮されるのか、これもおもしろそうな課題といえます。

 こう考えていくと、これまでと同様に、マンジェリコンとは長い付き合いになりそうなので、そうであれば、光マイクロバブル人生のなかに、もう一つマンジェリコンを加えて、共に生きていくことも悪くないように思われます。

 その結果、素晴らしき哉光マイクロバブル・マンジェリコン人生となったことを、そのうちしっかりと確かめ、草葉の陰の祖母に報告できると幸いですね。

 読者のみなさん、あなたも、私特製の糖減茶はいかがですか?

 少量でよければ、送付も可能ですので、ご連絡ください(つづく)。