二人の「ダ・ヴィンチ」研究(3)
渡辺崋山と高野長英のホットな議論が続いています。
二人とも、自分の関心事については、とことん討議を重ね、満足するまで粘り強く探究していくことに長けていましたので、その議論は盛り上がり、白熱していました。
それは、崋山にとっては、伊達宗城公から二宮敬作経由で届いた資料において、レオナルド・ダ・ヴィンチの幼き頃の伝記らしきものが書かれていたからでした。
かれが、一番知りたかったことは、あの素晴らしい名画『糸巻の聖母』を描いた主人公のレオナルド・ダ・ヴィンチが、どのようにして絵の才能を身につけていったのか、に関することでした。
一方、長英は、イタリアで、なぜルネサンスといわれる文化の創造が起こったのか、その中心人物のひとりといわれているレオナルド・ダ・ヴィンチは、どのような役割を担ったのか。
そして、このルネサンスを通じて西洋文化がどのように形成され、花開いていったのか、これらの究明を行いたい、と考えていました。
この希望は、かれが宇和島藩に招聘された際に、宗城公から渡された文献のなかに、その西洋文化論に関するものがあったからでした。
なかでも、その文献では、西洋哲学史について述べられていたことから、そこにより一層の興味を覚えたのでした*。
*このことに注目した思想家の鶴見俊輔は、自著「評伝高野長英」のなかで、わが国最初の西洋哲学者は高野長英であると指摘されています。
「長英さん、レオナルド・ダ・ヴィンチは、私ども以上に、不幸で貧乏な幼少期を過ごされていますね。
父親のピエロは、公証人という立派な職業を持ち、経済的にも裕福であったにもかかわらず、ダ・ビンチ村の小作の娘に、レオナルドを生ませて、そのまま放置し、実施としての届をしませんでした。
レオナルドは、こちらでいう『妾の子』として扱われました。
これは、ひどいですね!」
「そうですよ、わが国ですと、寺子屋というものがあって、だれでも、ここに通って文字書きを学ぶことができます。
ところが、当時のイタリアでは、そのような学校がありませんでした。
唯一あったのは、教会に設けられた学校であり、ここで公用語である『ラテン語』を勉強することができました。
このラテン語の読み書きができないと、市民としての仕事や商売ができなかったので、それを学ぶことができないということは、フィレンチェの市民として、まともに生きていけないことを意味していました」
レオナルド・ダ・ヴィンチの不幸な生い立ち(3)
「レオナルドは、その生い立ちを恨み、卑屈になったでしょうね!」
「かれが一番つらかったのは、同世代の友人たちから、『妾の子』だといわれ、いじめられたことでした。
唯一あった学校にも行けない、ラテン語も学べない、おまけに、いじめられたのですから、レオナルドは、かれらと交際しないようになり、自分で遊ぶようになりました。
もともと、正式の妻として認められない母親の下で育てられましたので、経済的には赤貧に近く、その遊びも自分で見つけて工夫するようになりました。
ここで、かれの智慧(知恵ではない)が自ずと磨かれていくようになりました」
「そこがおもしろいところですね。あなたのいう『智慧』とは、どのようなものですか?」
「智慧とは、仏教用語のひとつです。
それは、単なる知っていることや考え(アイデア)ではなく、あらゆる物事の本質や道理を見究め、活用できる力を表すことです」
「なるほど、レオナルドは、神学の学校でラテン語の知識を学ばなくても、自分で遊びながら、そこに本質を見出し、道理を究めて、活用できるようになった、というわけですか?」
「どうやら、貧しさと父親の勝手すぎる勝手が、逆に、そのようなレオナルドをかえって育てるのに都合がよかったのではないでしょうか。
この勝手な父親は、その後16歳の娘と結婚した時に、レオナルドは、その父親に引き取られます。
しかし、その少女のような母親には子供が生まれず、ようやく妊娠したものの母子ともに死んでしまうことになり、再び、レオナルドは祖父と母親の家に出されます。
そして、父親のピエロは、3人目の女性と結婚し、10人もの子供を得ました。
それゆえに、レオナルドについては、最初から眼中になく、どうでもよい子供と見なされていたのでした」
「まことに、勝手しほうだいの父親です。こんな男は許されないですね」
「しかし、崋山さん、その境遇が、レオナルドの自立心を形成させ、強めていったのです。
不幸な家庭環境と貧乏が、かれの自己確立のための修行に役立ったのですから、人生の裏表は、ふしぎですね。
じつは、私たちの両親はしっかりして尊敬に値する方々でしたが、不幸で貧乏であったことは、レオナルドの場合とよく似ています。
崋山さん、あなたとも、よく似ているのではないですか?」
「そうかもしれません」
レオナルド・ダ・ヴィンチは、次の一文を伸しています*。
「わたしが読み書きを習ったことがないから、論じたいことを適切に表現できないと、彼らはいうであろう。
私が扱うテーマの説明には他人が書いた言葉より、経験が必要なのだということを彼らは知らないのであろうか。
それに、経験こそが女主人公であって、その女主人に向かって、わたしがあらゆる懇願を行っていることを」
*レナード・シュレイン著『ダ・ヴィンチの右脳と左脳を科学する』
このかれがいう、女主人口とは、実践的、あるいは創造的経験のことを意味しているように思われます。
そして、この女主人公を自己のなかに宿らせたことが、かれの自立と自由な心を育ませたのではないでしょうか。
次回は、レオナルドが、その女主人公のなかにどう分け入っていったのかについて考察することにしましょう(つづく)。
(Amazing Trip HPより引用)
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