第六報の推敲終了
この3日、朝からよる遅くまで、ひねもす、第六報の原稿の推敲を重ねてきました。
これはいつものパターンであり、最後の仕上げは、このような作業になります。
そして、ようやく、昨夜遅くになって第六報の最終推敲が終わりました。
その余韻が残っていたのでしょうか?
午前1時過ぎに就寝しても、なかなか寝付けなかったので、この執筆過程のことをいろいろと思い出していました。
きっと区切りがついて、私の脳の方が喜んでいたのでしょう。
今回の第六報は、マイクロバブルに関するものであり、その題目を次のようにしました。
21世紀における高専教育改革の展望(Ⅵ)
- 高専発のマイクロバブル技術(1)-
この執筆において、長い間慣れ親しんできた技術のことですので、いつもより、すらすらと執筆できるのではないかと安易に考えていましたが、実際には、その反対でした。
やはり、物事は甘くないですね。
すでに、この第六報の執筆を本格的に開始したのが7月18日でしたので、その脱稿までに、約1か月を要したことになります。
この原稿の投稿を終えて、いくつかの重要な事柄が明らかになりました。
その第一は、マイクロバブル技術の時代区分を次のように行ったことでした。
第一期(黎明期、1980~1994年):
地元中小企業との排水処理装置の開発委員会に参加したのがきっかけで、そのエアレーション装置を開発することになりました。
そこでは、当時、世界12か国の特許を有していた曝気装置が採用されていました。
そしてこの装置の問題点を見出し、それを改善することでW型装置を開発することができました。
しかし、この装置では、マイクロバブルのみを大量に発生することができませんでした。
第二期(生成期前半、1995~2011年):
毎分1ℓのマイクロバブルのみをを発生させる装置開発に成功し、それを1995年に公開しました。
それは、自己収縮運動を繰り返して、ナノサイズのバブルへと近づいていく気泡であり、その過程で気泡内が高温高圧になり、特殊な化学反応を生起させる気泡でした。
当初の溶存酸素効率を向上させるためのマイクロバブル化という概念よりも、より重大で広範囲の分野に適応可能な生物活性を誘起させることを可能にする気泡であり、これが、マイクロバブルの正体でした。
そのため、急速に収縮しないマイクロバブルと区別するために、それを「光マイクロバブル」と命名し、その再定義を行いました。
また、その作用効果が、カキ、ホタテ、アコヤガイの養殖現場で検証され、その成果が報道されました。
さらに、本技術は、東日本大震災緊急プログラムとしても遂行され、バージンオイスターの誕生を始めとする重要な成果を生み出すことになりました。
第三期(生成期後半、2012~現在):
光マイクロバブル技術を用いて、各種の商品開発に取り組むことになりました。
また、そのための補助金を得て、そのプログラムが進行していきました。
さらに、新たな分野として農業や医療においての取り組みが進展しました。
そして、現在は、ある分野での商品開発が軌道に乗り始め、その様相は、生成期後期から発展期前期への兆しを見せ始めています。
第六報の特徴
本報の特徴は、上述の時代区分にしたがうと、第一期~第二期に関するマイクロバブル発生装置の開発と、それを用いた初期の社会実装に関して考察していることにあります。
それらの課題にまったく精通していなかった私が、迫りくる試練のなかで、どのようにして、それらをどう糧にしていったかを赤裸々に述べています。
技術開発は一朝一夕に成功するものではなく、改良に改良を重ねて一歩ずつ乗り越えていくことで、そこに成功の可能性が生まれてきます。
そのなかで、その試練の連続を乗り越えてきた軌跡を振り返ると、それは、あの「わらしべ長者」の初めのころとよく似ているように思われます。
新たなアイデアを思いつき、相手のニーズをよく理解して、そこに価値あるものを見出していく速断と速決ぶりには、なんとなく共通性があるようです。
今度、それとの比較をじっくりしてみようか、と思っています。
なにはともあれ、第六報の投稿を終えて、かなり気楽になりましたので、まずは、これからブログ記事の執筆に、やや力を入れて励むことにしましょう。
その前に、疲労回復の光マイクロバブル入浴を楽しむことにしましょう(つづく)。
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