鶴岡
芭蕉一行は、月山や鶴岡の羽黒山五重塔を訪れて、その信仰のなかの「静寂」の奥の極みに触れました。
その後、その静寂から離れ、ほっと安堵しながら鶴岡の長山氏宅へと向かいました。
これは、東北横断という最大の難関を突破し、どこか安らぎを感じた第二コースの終着駅である鶴岡・酒田への旅立ちでした。
羽黒山の南谷から鶴岡までは約20㎞、出羽三山における巡礼の修行における疲れが出てきて、芭蕉は体調を崩されていました。
ようやく、鶴岡の長山邸に到着した芭蕉は、粥を所望され、すぐに仮眠を取られたそうでした。
夕方になって、句会が開催され、最初に芭蕉は、次の句を詠まれました。
めづらしや 山を出羽の 初(はつ)茄子(なすび)
芭蕉は、胃腸が弱かったそうで、この粥と茄子で、それを和らげたことでしょう。
鶴岡といえば、この茄子に加えて「だだちゃ豆」、そして蕎麦の美味しいところです。
また、庄内藩によって洗練された生菓子も素晴らしいものがいくつもありました。
そういえば、以前に鶴岡を訪問した際に、T高専のK先生から木村屋の「古鏡(こきょう)」という小豆餅菓子を薦められたことがありました。
上品な素晴らしい味で、松江の「山川」、熊本の「陣太鼓」というお菓子と肩を並べるほどの小豆銘菓でした。
古鏡(木村屋のHPより引用)
因みに、最近、私は「きんつば菓子」に凝っていて、生協を通じて全国の「きんつば」の味比べをしていますが、この菓子は、そのトップクラスに位置しています。
K先生とともに、鶴岡でお会いしたのが、I酒店のIさんでした。
この酒店は、T高専の校門のすぐ傍に在り、K先生は、このIさんのところに毎日寄ってから帰宅されていました。
もちろん、T高専の学生たちのなかには、それと同じ常連客がおられました。
このK先生とIさんの一心同体になったコンビがおもしろく、私の行っていたマイクロバブル研究にも非常に強い関心を持たれていたようでしたが、その後はどうなったのでしょうか?
何事もそうですが、社会の中での実装は容易でなく、それを持続的に発展させていくことには、さらに数倍の努力が必要であり、それだけ試練に遭遇することになります。
酒田へ
さて、芭蕉らは、鶴岡での休息の後に、船で赤川を下って酒田へと向かいます。
当時の赤川は、最上川の最下流付近に合流しており、海へと向かう壮大な光景に夕日と共に遭遇したのでしょう。
その句を、次のように詠まれています。
涼しさや 海に入れたる 最上川
この句は、後日、次のように修正されています。
暑き日を 海に入れたる 最上川
この句は、暑い太陽が海に沈んでいく最上川河口のことを表したのではないかと解釈されています。
しかし、私には、尾花沢から下って、とうとう酒田の河口までやってきた、これまでの暑い日々のことが思い出され、それが夕日と共に海に受け入れられたという感慨が含まれているように思われました。
これで、東北横断という、奥の細道の第二コースの終着を迎え、その句道を感慨深く振り返られたのではないでしょうか。
鶴岡、酒田は、食材の宝庫でもあり、胃の調子を治して豊かな食物の粋を楽しんだことでしょう(つづく)。
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