自信形成問題

 先日、新聞記事を読んでいたら、ある著名な作家のエッセイのなかで、人生における自信形成問題が論じられていました。

 また、ある方が、それをさらに取り上げ、より詳しく解説をなされていました。

 その指摘とは、人生における自信形成は、その動機によって決まるものであるとされていたことでした。

 何をしたかではなく、何をしようとしているかということが重要なのだということに、はっとさせられました。

 「そうか、そうだったのか!」

 こう思いながら、自分自身のことを振り返ってみました。

 前職場のT高専にいた時には、年に5、6回の学会発表を行っていました。

 そこでは、同時に多くのみなさんの講演発表を聴いていましたが、素晴らしく興味を抱かせるような発表は数多くありませんでした。

 その理由は、その研究の動機において優れたものがなかったことにありました。

 優れた研究動機を持った研究には、その探究における知恵と工夫が施されており、そこに必然的な苦労があり、さらには、それをブレイクスルー(突破)していこうという苦闘もあるこことから、それがおもしろいのです。

一本足から二本足へ

 自分自身の研究においては、どうだったでしょうか?

 T高専に赴いてから約20年間、私は、壁乱流(壁の上を流れる乱流)の研究を行いました。偶然でランダムな流れのなかに、秩序だった渦構造を見出す研究を行い、私と私のスタッフ2名が、その研究で学位を取得することができました。

 この研究は、複雑で乱れた流れのなかに、秩序だった渦構造を見出すことに未知の問題を探究する魅力があり、その基本構造を洪水が起きた時の河川乱流の究明に役立てることを目的にしていました。

 この研究に用いた手法が、流れの可視化法であり、その流れをカメラで撮影して、そ美しい姿に感動したこともありました。

 この自然の流れのふしぎな仕組みを明らかにすることに魅了されたことから、それが私どもの乱流研究の動機でした。

 そして、この壁乱流の研究は、川だけでなく、すべての乗り物、空気の流れ、物体周辺の流れ、海や大気の流れ、さらには血管の中の血液の流れにも関係していましたので、それらの流れの基礎でもあったのでした。

 また、私どもが学会で発表する度に、当時のS東大教授が、必ず真っ先に質問してくるようになり、こちらも、それにどう答えるかを工夫するという、おもしろいことが起きました。

 しかし、それまでの私どもの研究は、壁乱流という流体力学上の一分野に限られていて、いわば一本足打法、I型打法だったのです。

 この打法からいかに脱却して、二本足、あるいはΠ(パイ)型へ移行していくのか、これがマイクロバブルの試練として待ち構えていたのでした。

 ある意味で、かなり出来上がっていた研究スタイルに加えて、もう一つの柱を加えることは、かなりの困難を伴うものでした。

 最初は、軽い気持ちで、研究室に閉じこもらないで、社会的に意味のある研究開発をしてみようと思ったのですが、それに打ち込むという行為は、ある意味で、研究者としての危険を顧みない行為でもありました。

 私も、その二本目の柱を打ち立てることは可能かをいろいろと考えた時期もありましたが、その時の結論は、あまり先のことまでは考えずに、その当面において、成功が起これば続け、逆に失敗すれば、それを止めればよいと軽く考えていました。

 ところが、そのうちに、その成功が増えて行って、失敗がほとんどなくなったことから、それが続行し、その二本目が成立されるようになりました。

 まず、1998年の7月24日の日刊工業新聞の一面トップ記事に、マイクロバブルのことが大きく報じられました。

 その見出しは、「世界最小水準の気泡」という派手なものでした。

 予想外の一面トップ記事に、私自身が吃驚仰天しました。

 「そういえば、少し前に、日刊工業新聞の山口支局長から取材を受けていた」

ことを思い出しました。

 「そうか、このように理解されていたのか!」

 これは、マイクロバブルが、世界最小水準の気泡として世の中に理解され始めた最初のシグナルでした。

 世界最小水準のマイクロバブルを大量に発生させようという動機を持たなければ、このような現象にめぐりあうことはありませんでした。

 この動機を抱いて、最初の結実が、この記事として表出したのでした。

 この掲載は、その後の凄まじい経緯のなかで、必然的なマイクロバブル技術に関する「自信」を養う「きっかけ」を創ったのでした(つづく)。

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高砂百合(前庭)