第六報の動機(1)
昨日は、我が家のサマフェスが終わり、朝早く甲府の孫たちが来るまで帰路に向かいました。
それぞれが、素敵な思い出を抱いての帰りだったので、笑顔で手を振ってくださいました。
「また、来年もよろしくお願いします」と、家族を代表して、お父さんがいっておられました。
孫たちは、存分に遊んで楽しく夢のような一時を過ごすことができたようでした。
さて、このサマフェスが一括りとなり、次をきっかけにして、平常に戻ることにしましょう。
その第一は、本ブログ記事において、論文執筆によって滞っていた部分が解消され、毎日執筆、毎日更新ができるようになりました。
これで、気分がすっきり、新たな日常への再スタートが可能になりました。
第二は、先月末から、論文の執筆を中断し、心身の疲労を和らげ、その間に、次の第六報の構想の具体化を検討して、それがほぼ固まってきたことで、その執筆再開が可能になったことです。
その第六報の特徴は、高専という実践的技術教育、そして、その発展としての創造的技術教育の成果が、光マイクロバブル技術という世界を先駆けた探究・開発に結びついていったのか、これを考察することにあります。
これまでは、この視点から光マイクロバブル技術の発展を詳細に考察したことがなかったので、その命題に焦点を当てて考えてみたいと思います。
その探究の理由は、光マイクロバブル技術が、なぜ、高専から生まれ、それが国内へ、さらには世界へと、まさに燎原の火のように広がっていったことが、意外と高専の内部においては知られていないことにありました。
それは、私自身が、その視点から十分な明察を行ってこなかったからですが、丁度良いことに、この間の一連の論文化によって第五報までの投稿を終えて、それらを踏まえての執筆を行うことが、非常に重要であると認識し始めたからでもありました。
私は、前職場のT高専に27歳で赴任し、以来、乱流研究に勤しみ、その過程で高専の卒業研究生が重要な現象の発見をしてくださり、それが契機となって1988年に、「開水路乱流の秩序構造」という題目で学位論文を提出することができました。
W型とM型装置
また、1980年ごろから、地元の中小企業との共同研究が始まり、それが契機となって、微細気泡発生装置(W型)およびマイクロバブル発生装置(M型)を開発することができました。
前者における微細気泡とは、その気泡径が数㎜~数百㎛の気泡のことであり、この開発には約15年の歳月を経ることになりました。
当時の微細気泡とは、数㎝~数㎜と、上記の装置よりも約10倍大きく、それを約10分の1化することをめざしました。
このW型装置は、ダム貯水池や排水処理施設における水質浄化にかなり有効でしたが、次の問題点を有していました。
①マイクロバブルのみを発生させることができなかった。とくに、数十㎛以下の気泡を発生させることができなかった。
②数㎜サイズの微細気泡は、水域内の鉛直方向の二次的流れの流動に寄与し、一方で数百㎛程度のマイクロバブルにおいては溶存酸素濃度の向上に貢献させようとしたが、それは必ずしも十分な溶解効率をもたらさなかった。
➂それらの気泡の物理化学的特性を詳しく明らかにすることができず、ひたすら気泡をマイクロサイズ化することによって、その表面積を増大させ、気泡内気体妖怪速度を上げることによる作用効果を想定していた。
この最小スケールの数百㎛のマイクロバブルをもう一桁小さくできないか、この探究が日夜なされましたが、それは容易なことではありませんでした。
このW型装置の気泡発生原理は、下部が大きく上部に置くほど開口部が小さくなるメガホン状であり、その下部から空気を挿入し、その空気塊を上昇させながら、それを羽板で旋回性を持たせて上昇させながら、空気塊を微細化することにありました。
しかし、これでは、旋回速度が小さく、その気液二相の旋回によるせん断力も大きくありませんでした。
とにかく、この気液界面におけるせん断力を大きくするために、旋回速度を増していこう、そうすれば、気泡のより微細化が可能になるのではないか?
こう考えて改良がひたすら繰り返されていったのでした。
結局、このW型からM型装置へと発展し、マイクロバブルを発生できるようになるまでに、上記のように約15年の歳月を要してしまったのでした。
次回は、このW型からM型に至る苦闘に分け入ることにしましょう(つづく)。
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