尾花沢から新庄へ
最上川は、山形の米沢北へ酒田に向かって流れており、単独県内における日本最大の長さを有する川です。
古くから、この川を利用しての輸送がなされていました。
たとえば、尾花沢の鈴木清風は、そこで紅花問屋として財をなしていきましたが、尾花沢で栽培した紅粉を、この最上川の船便で酒田まで運び、そこから日本海を渡り、京や大阪に届けていました。
当時、この船便を担った帆船は、この広重の絵画にもあるように、最上川を途切れることがないように進んでいたそうです。
最上川の全長は229㎞、風光明媚な景色を観光する船もありました。
この最上川は、わが国三大急流河川として知られていますが、それが、途中で3つの180度蛇行によって緩められ、それによって河川水位が保たれています。
それらが急流であるにもかかわらず、ゆったりと船観光ができることにも結び付いています。
芭蕉らも、もの最上川観光を楽しんだようです。
芭蕉が、尾花沢から新庄に向かった季節は梅雨のころであり、その年は異常気象で相当に蒸し暑かったそうです。
そこで、芭蕉は、現地で開催された句会において、次のように最上川のことを詠まれています。
五月雨を あつめて涼し 最上川
周知のように水は温まりにくい物質ですので、河畔に佇んだ芭蕉は、熱い大気のなかで、最上川の冷たい水際の空気に接して「涼しさ」を覚えたことで、この句が生まれたのではないでしょうか。
この句会の後に、芭蕉らは実際に船に乗って川下りをしたようです。
折しも梅雨時であったことから、周囲の支川から水が集まり、急流と化していたのでしょう。
このように大きな河川の場合、その流速は、秒速2m前後になりますので、これを時速に換算すると約7.2㎞です。
マラソン選手が、ややゆっくり走る速さですので、この速度の船に乗ると、かなり速いと感じるはずです。
日頃、このような速度の船に乗ったことがない芭蕉にとって、この船の速さが非常に印象深かったのではないでしょうか。
後に、その前句を遂行し、次の名句が生まれました。
五月雨を あつめて早し 最上川
森村芭蕉も、この川下りを楽しまれました。
その時期は、吹雪舞う冬の季節であり、芭蕉の梅雨のころとは全く異なる季節でした。
川下り船のなかではコタツが用意されていて、吹雪の中で凍えていた森村芭蕉さんらは、この暖を楽しみました。
ついでに、地元の日本酒が出され、さらに身体が温まりました。
観光船のサイズも大きく、吹雪の中でも、船は揺れず、川下りを楽しまれていたようでした。
コタツの温かさ、美味しい料理、旨い地元の酒に、森村芭蕉は、すっかり魅了されたようでした。
さて、その森村芭蕉が注目されたのは、最上川船頭さんが詠まれた次の句でした。
これには、芭蕉にない生活感があるという解釈をなされていました。
厳冬を ふと見上ぐれば 最上川
名句が続く、奥の細道の第二コース。
芭蕉の句道も、より深く奥に分け入り始めましたね(つづく)。
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