夏の到来
梅雨が明けて、本格的な夏がやってきました。
今年も、前庭に高砂百合がたくさん咲きそうです。
7月23日に、執筆中の一連の論文の第五報の投稿を済ませ、この一週間は、疲労の緩和と体力の回復に勤しみ、さらには、滞っていたブログの記事の更新に努めてきました。
おかげで、ややむくんでいた下肢の改善がなされてきたようで、安堵しています。
さて、この10日、私の周辺で新たな味方が2つ増えました。
その一つが、書斎の椅子をCOFOという最新式のものに入れ替えたことでした。
以前に使用していた椅子が、壊れてしまい、窮屈な思いを募らせていましたので、ここは思い切ってよさそうな椅子に換えようと決断しました。
日本人の体格によく合い、リラックスも可能な配慮がいくつもなされていましたので、その作用効果を確かめることを楽しみにしていました。
この椅子を約1週間試してみました。
結果は、非常によく、以前の座り疲れを、ほぼ解消することができました。
この効果は、私にとっては非常に大きな差異となりましたので、思い切って買い替えてよかったと判断することができました。
とくに、執筆が一段落したときに、いわゆるリクライニング状態で背中を伸ばし、さらに身体を後ろに倒す際に、非常にリラックスすることができるようになったことが気に入りました。
同時に、その折に肩の体操もできるようになりましたので、すぐに姿勢を戻して執筆活動に向かうことがスムースにできるようになりました。
2つめは、HAUSERのチェロ演奏を繰り返して親しく拝聴するようになったことです。
かれはクロアチア出身の若いチェリストですが、その柔らかくて優しい音色を聴いて驚きました。
これまでは、チェロといえば、パブロ・カザルスをよく聴いていたのですが、最近は、このHAUSERにすっかり魅了されました。
最近は、かれの世界各国におけるコンサートの様子もネット上で拝聴できますので、当分の間は、このかれの演奏を楽しく親しむことにしようかなと思っています。
さて、本日は、2023年7月末となり、いつものガイダンスを行っておきましょう。
「未来を切り拓く『若者たち』(5250回記念)」
新たな記念シリーズが始まりました。
パンデミック、不景気、円安、インフレ、食糧危機、戦争、地球の高温化、山火事など、この地球上では、多くの人々を苦しめることばかりが起こっています。
その行き詰った世になかでの後退現象が頻発するなかで、日本の若者たちが、一際、素晴らしい活躍を行い、光彩を放っています。
なかでも、その先頭を走っているのが、太谷翔平選手と藤井聡太竜王です。
かれらは、なぜ、あのように活躍できるのか?、その活躍のなかに共通点はあるのか?
そんなことを考えながら、かれらの図抜けた資質のことをあれこれと考究してきましたが、いよいよ、それを本格的に考えてみようという気持ちに至りました。
というのも、この数年間、レオナルド・ダ・ヴィンチ、スティーブ・ジョブズ、高野長英、渡辺崋山、井深大、本田宗一郎などの少年・青年時代を調べ、かれらの創造力の開発方法を研究し、それらを踏まえて、同年代の高専生の創造力問題を考究してきたからであり、それを太谷翔平選手と藤井聡太竜王の場合にも適用して考えてみるとおもしろいのではないか、と思いました。
さて、その目的は達成できるのか、これから本記念シリーズを展開していくなかで確かめていくことにしましょう。
「『渡辺崋山』考(4950回記念)・崋山と長英」
宇和島での伊達宗城公の粋なはからいによって、渡辺崋山は、レオナルド・ダ・ヴィンチ工房作の「糸巻の聖母」を拝見することができました。
この体験が、渡辺崋山と高野長英の人生を、これから大きく変えていくことになります。
その入り口が、二人によるレオナルド・ダ・ヴィンチを中心にしたルネサンスについての研究となっていったのです。
崋山は、後世における優れた美術評論家によって、日本のレオナルド・ダ・ヴィンチになったかもしれない人物だといわれますが、その片鱗は、高野長英とのルネサンスに関する共同研究にあったのかもしれませんね。
この二人の人生は、どのようにして全うされていくのでしょうか?
これから、ますますおもしろくなっていきそうですね。
「老いの覚悟と生き方(4850回記念)・奥の細道」
奥の細道も第二コースに入り、東北地方を横断するたびに入っています。
前記事は、あの有名な「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」が詠まれた山寺のことでした。
山寺は、小さな山に建立された寺ですが、そこに至る階段は、麓から数えて1015段もあり、修行僧たちが集まる霊山でした。
芭蕉は、その霊魂に接しながら、そこで一番思い出に残ったのが「閑さ」であり、それを深く認識していただくために、その時は、未だ鳴いていない「蝉の声」を句に詠んだのでした。
山寺は、山寺にしかありませんが、「閑さ」と「蝉の声」は、日本全国どこにでも接することができますので、広く、多くの人々に、その思いを理解していただけるように、句を捻り、普遍化させたのではないでしょうか。
また、この句が、五大堂という麓を展望する場所に佇んでいた時に詠まれたことも、私にとっては意外なことでした。
眼下には、初夏の緑溢れん景色が広がっており、そこに「閑さ」を感じたところに、不易流行の真髄が潜んでいたのかもしれませんね。
この細道の旅は、未だようやく半ばに達した段階ですので、これからも、粋で素敵な道中になっていくのではないかと思われます。
「追悼・久松俊一先生」
一連の追悼文を認めながら、久松先生のことを思い出しています。
また、それがきっかけで、一連の論文化が進んでいったのですが、今度は、かれの処に、その論文の査読が回り、その査読を通じて、いりいろと火花を散らしていたのではないかと想像しています。
仮に、かれが私の論文の査読者になっていたら、厳しい査読をうけながらも、より論文をよく仕上げるために大いに議論をしていたのではないかと思います。
しかし、それは、いまでは叶わぬことですので、ただ偲ぶ、これを実行しています。
最後のところで、先生のことを、そのように偲びながらですが、よろしくお付き合いをお願いいたします。
久松俊一先生、あなたは、高専における「創造的突出」の人物であった、そう思っています。
その他の記事は、また別の機会に認めましょう(つづく)。

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