「後半戦」に突入
数日前に、「21世紀における高専教育改革の展望」という一連の論文化作業において、その第五報の投稿を終え、その後半戦に突入したことを述べました。
この間を振り返れば、昨年末以来の取り組みになりますので、決して短い期間ではありません。
このように長い執筆活動は、かつてあまり経験したことがなく、少々の驚きと成就感に新鮮さを覚えています。
かねてから、おそらく数十年間の長きにわたって、このような仕事をしたいと思い続けてきたことから、それが叶うことに一入のゆかいさを感じることができたのではないかと思われます。
さて、これらの5編の論文のうち、一番苦労し、時間がかかったのが、第1編でした。
その理由は、一連の論文化に基本方針が定まっていなかったことにありました。
具体的な現象のことが気になり、その本質問題を抽象化して考察することができていなかったことであり、それゆえに、何度も書き直し、あるいは、途中で中断してしまうという執筆を繰り返していました。
そこで、先人の著作に学び、この方式を取り止め、その抽象的本質を叙述するという方法で書き始めると、思いのほかに、その叙述がスイスイと進み始めたのでした。
「やはり、そうか。先達の方法は、正しかった!」
と深く認識したのでした。
また、そのきっかけは、私が、34歳の1982年に執筆していた論文のなかにありました。
まだ若い未熟な年頃の執筆でしやので、随所に未熟な、そして青くさいところがありましたが、これを丁寧に読み返してみると、その大筋では間違っていない、筋を通していると拝察することができました。
おそらく、必死になって書いたのでしょう。
「高専教育」という年1回の雑誌が出始めたころで、それは5巻に掲載されていました。
この執筆者には、現役や退官された校長の論文や随想が多かったことから、その原稿募集に応募したいと申し出ると、当時のT高専のお偉方が、すこし慌てられたようで、その締め切り日よりも前に、原稿を当時のU教務主事に提出するようにいわれました。
それで合格しなければ、大した原稿ではないと思って、素直に、その提案を受け入れました。
これを査読、あるいは検閲というのでしょうか、その結果は、何も修正がなく、そのまま出してよいというということになりました。
当時は、ワープロもなく、手書きの原稿でした。
私は、1976年にT高専に赴任し、1年助手をして、2年間の講師を経て助教授になって3年目を迎えていました。
その6年間におけるT高専の教員の経験をまとめ、考究したもので、次のような題目の論文でした。
「高専における技術論の有用性」、高専教育、第5巻、pp.129-136、1982
この技術論については、学生時代から友人たちと勉強していたこともあり、それをどう高専教育に実践的に適用するか、を踏まえて論考を図ろうとしたものでした。
私が学んだ大学は、工学部単独で宇部市にありましたが、この勉強会に30数名の学生たちが集まり、みんなで熱心に議論し、シンポジウムを開催するほどの力を有していました。
そこから数えると、約10年の歳月における、ある意味での勉強のまとめを行ったのが、この論文化でした。
「そうか、これをより創造的に発展させようか!」
これを再読して、こう思いました。
この論文は、「技術とは何か」という命題を踏まえながら、その技術概念を高専教育に適用した場合についての諸問題についての考察を試みています。
ここにおいて、最初に考察したことは、高専において創立以来62年間実施されてきた、実践的技術教育に関することでした。
その内容が、明確に考究されていないという問題があり、それが単に大学と比較して実験実習の時間を多くしたことに特徴があると見なされてきました。
つまり、その時間数を多くしただけという段階に留まり、その実験実習の内容に関する質的な検討は、ほとんど探究されていませんでした。
ここに質的探究の課題があったのですが、そのことが長い間、あまり重要視されていませんでした。
また、実験実習以外の科目、授業や演習、設計製図、卒業研究などにおいても、より系統的な探究が不十分なままに留まっていました。
さらには、「実践的技術教育」に関する理論的な深掘りが不十分であり、その科学的理論化があまりなされていませんでした。
とくに、実践的技術教育と創造力の開発の問題の関係も不明確なままの状態でした。
そこで、34歳の時点において考えていたことに立ち返って、これらの問題を改めて考え直してみよう、これが第一報における狙いでした。
次回においては、それらの関係についてより深く分け入っていきましょう(つづく)。

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