かどや

   宇和島の駅前にある「かどや」は、老舗の郷土料理店です。

 ここに行って必ず注文していたのが、宇和島名物の「鯛飯」と「じゃこ天」でした。

 高野長英は、最初に二宮敬作に連れられていったのがきっかけとなり、そのじゃこ天を肴にして地元の銘酒「虎の尾」を飲むことを常としていました。

 伊達宗城公との謁見を終えた高野長英と渡辺崋山は、遅れてやってくる二宮敬作の指示で、この「かどや」を訪れていました。

 長英が、大好きな「虎の尾」をぐいと一杯飲みほして、こういいました。

 「崋山さん、今日の謁見はおもしろかったねー。宗城公もご機嫌よく、あのように気さくな宗城公を見たことはありませんでした」

 日頃は酒を飲まない渡辺崋山でしたが、さすがに、ここちよい疲れを覚えたのでしょうか、じゃこ天をいただきながら、盃の虎の尾をちびりと飲んでいました。

 「長英さん、おかげで念願だった宗城公に面会することができました。ありがとうございました。

 あなたのおかげで、たくさんの興味深い話を聞くことができました。

 やはり、宗城公は、並みの殿様とはちがいましたね。

 あのように高い見識を持っておられたからこそ、お尋ね者の長英さんを招聘できたのだと思います。
 
 器量の大きさに驚きました」

 「そうですか、それは良かった!そういっていただければ、わざわざ、江戸から駆けつけてきたかいがあったようにおもいます」

 「宗城公との面会のなかで、私が、シーボルト先生の助手のハインリヒ・ビュルゲルさんと会っていたときに、かれが、シーボルト先生と密かに会っていたいたという話を聞かされ、驚きました。

 あの時、ビュルゲルさんは、何か言葉を口に含んだような喋りっぷりでしたので、何かあるのかなとは思ったのですが、それは初対面だったからだと解釈して話を続けました。

 今想うと、シーボルト先生から、慎重に対応せよといわれていたことを聞かされ、納得できました」

 「シーボルト先生は、宗城公と面会されたことについては何も話されませんでした。幕府の眼が厳しかったからだと思います」

 「その時に、宗城公は、シーボルト先生を宇和島に招聘したい、それが無理なら誰か弟子を推薦してくれないか、と頼まれたのではないですか?そう頼まれて、シーボルト先生はあなたを推挙されたのではないかと思いました」

 「さすが、崋山さん、鋭いですね。

 これまでは、兄弟子の二宮敬作が推薦したことになっていますが、そうではなくて、シーボルト先生が私を指名していた。

 そうかもしれませんね」
 
 「やはり、シーボルト先生は、相当な方ですね。

 ドイツ人らしく信義に厚く、そして学問や文化を大切にされた方だったことが、宗城公との信頼を深めたのではないでしょうか。

 長英さん、あなたは良い先生に恵まれましたね!」

 「ありがとうございます。私も、そう思います。

 宗城公は、密かにシーボルト先生に面会して、大いに刺激を受けて、あの大量の文献を集められたのだと思います」

 「きっと、そうですよ。それをあなたに与えて全部翻訳させたのですよ!」

 「そうか、すべてはシーボルト先生が関与していたのか?」 

 こうして二人の会話は弾んでいきました。

 いつもは酒を飲まない、渡辺崋山が、珍しく顔を赤くして、ここちよい表情になっていました。

 「ところで、宗城公の粋な計らいはどうでしたか?」

 「えっ、何のことですか?」

 「二宮から聞きましたよ!何とかの糸車の話ですよ」

 「そうですか。すみません、硬く口止めされていましたので・・・」

 「宗城公は、あの場で黙って退席されましたが、二宮と事前に打ち合わせをしていたのだと思いますよ!」

 「長英さんには、隠し事ができませんね。その糸巻きには、衝撃を受けました」

 「といいますと?」

 「線がないのです。どこにも、まったく線がない、それでも、みごとに人物像が鮮やかに描かれていました。

 しかも、描かれていた人物が、何を考え、何をしようとしているのかが、リアルに描かれていました。

 さらには、近くの人物と背景がぴったり調和していました。

 たしか、『遠近法』と呼ばれる手法であり、腰が抜けるほどの感動を覚えました」

 「なるほど、崋山さんが、そこまで驚かれたのなら、糸巻の絵画は本物なのでしょう。

 さすが、ルネサンスの本場の絵画といえますね」

 「長英さん、そのルネサンスとは、どういうことなのですか?」

 「イタリアを中心して始まった芸術活動のことですが、要するに、『見たい、聞きたい、知りたい』という人間の欲求が、芸術として噴出してきた現象のことですよ」
 
itomaki
糸巻の聖母(再録)(ウィキペディアより引用)
 
 こうして、二人は、夜遅くまで西洋の芸術論議を楽しんでいました。

 その二人がほろ酔い気分になったころに、ひょっこりと二宮敬作が顔を出してきました。

 三人になった「かどや談義」は朝まで続いていました(つづく)。