追悼・久松俊一先生(5)
 
 前記事において示した私の追悼文の第三節の後半部分を再録します。

 3.  源流は「私たちの高専改革プラン」注(1)

・・・・案の定,その提言については,みな頭を捻ってばかりで,何も良いアイデアが出ないままに23日の最終日の朝を迎えました.そのまま解散か,と暗雲が漂っていたのですが,ふと,私の頭のなかに次のアイデアが浮かんできました.

「これだけ,みんなで考えてみても,よいアイデアが浮かんでこないということは,どういうことであろうか?それは,私たちが,高専の未来像を豊かに描くことに長けていなかったからではないか!そうであれば,それを研究する組織を自分たちで創ればよいのではないか!」

こう思って,

「みなさん,私たちで,高専のことを研究する学会を創るのは,どうですか.みんなで学会を創りましょう!」

こういうと,最初は,みなさんポカンとされていて,なにも言葉を発せられませんでした.しばらくして,その意味がお解りになったのでしょうか,「そうだ」,「それはいい」という声になって全員の賛同に至りました.

これが,日本高専学会誕生のきっかけであり,源流におけるエピソードだったのです.

少々引用が長くなりましたが,この『改革プラン』の発行,木更津での教育研究集会での高評価と賛意を得て,日本高専学会の創設へと発展していったのでした.


 注(1)全国大学高専教職員組合・高専協議会:『私たちの高専改革プラン』,1994.


 プロジェクト会議も3日目に入りましたが、前夜の予想の通り、最後の肝心の提言に関しては、一向にまとまらず、一同、ため息をつき、なかには天井を見上げてばかりの方もいました。

 その様子を眺めながら、学生時代によく友達に、こう語っていたことを思いだしました。

 「丸木橋を渡っていたら、向こうから人がやってきて、どうしようかと考えあぐねるよりは、そこにコンクリートの橋を造ればよいではないか、そしたら、みんなで簡単に渡ることができるよ!」

 こうひらめきました。

 そして、上記のような発言をしたのでした。

 この意外な提案に、みなさんは、あっけにとられていたようで、しばらくの沈黙が続きました。

 そのなかから、一人二人と賛成の声が上がり、やがて、それが全員の賛成になっていきました。

 これを創造力開発の四段階(レナード・シュレイン)に則して、次のように考えました。

 第一段階の「努力」:確かに知恵を絞って討論し、考究したことは真摯な努力の発揮で、粘りでもありました。

 第二段階の「培養」:よい提案ができないかと必死で考え、討議したことによって、その創造的な提案が培養されていたのだと思います。

 第三段階の「ひらめき」:その努力と培養の結果が、この「ひらめき」に結びつき、自分たちで、高専を総合的に研究する学会組織を造ろう、という提言に結びつきました。

 創造力が湧き出た瞬間でもありました。

 第四段階の「立証」:この提言に基づいて、自前の学会を創設し、その立証を行うことになりました。

 その「提言1(高専の教育研究の総合的発展)」の文章を示しておきましょう。

 「高専教育30年のなかで生み出された長所を基礎として、その発展・飛躍を可能とするための総合的な教育研究運動を展開する。

 その中心機関のひとつとして、『高専教育学会(仮称)』の創設を実現する」

 この「提言1」が、木更津における教育研究集会において発表され、大変な評価を得ました。

 そのなかの一人が、久松俊一先生(木更津高専名誉教授)であり、かれと一緒に、私たちは夜遅くまで議論の花を咲かせたのでした。

 この提言1に示された文章の内容をもう少し詳しく考察することにしましょう。

 その第一は、高専における教育と研究を総合的に発展させるために、その中心機関としての学会(設立総会で学会の名称は「日本高専学会」とされた)を創設することが明確に示されたことです。

 その時までの30年間において、このように高専の教育と研究を総合的に発展させる機関がなかったことから、その創設を提案したことには、小さくない意味と意義があり、それを多くのみなさんが賛同・認識したのでした。

    第二は、数多くの困難と深刻な矛盾の坩堝と化していた高専の否定的側面を一切顧みずに、その長所のみを基礎として、高専と高専教育を全面的に発展させようとしう視点を明確にしたことでした。

 この思想は、その長所を伸長させていくことができれば、自然に、そして必然的に短所が改善され、やがて消失してしまうということを確信する、というものだったのです。

 第三は、その全面的な発展を運動論として捉えていたことです。

 この視点は、高専における何事も、動いて変化していくものであり、その困難も矛盾も固定化された不変のものではない、ということを示唆したものでした。

生き生きワクワク

 この提言1に関する議論によって、まず、プロジェクト委員のメンバーの表情がガラリと変わりました。

 みなさん、生き生きワクワクの状態になっておられました。

 「そうか、教職員組合が学会を創設しよう、と呼びかけてもよいのだ!

 そこには何も問題はない。

 これこそ、組合の低くない見識を示すものだ!」

 口々に、このような主旨のことを仰られていました。

 そして、木更津教育研究集会に集まられた久松先生をはじめとして全国のみなさんも、生き生きワクワク状態になり、ことさら目が輝いておられました。 

 「さあ、これから学会を、どう作っていこうか?」

 この教育研究集会を終えて、帰路の新幹線のなかで、こう楽しく思いをめぐらしたのでした。

 しかし、運命とは不思議なもので、その後の私には、思いも寄らぬ出来事が待っていました。

 次回は、その提言2と3の内容に深く分け入るとともに、私のふしぎな運命のことについても少々触れることにしましょう(つづく)。

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 シラン(前庭)