肩凝り(2)

 私の頑固な肩凝りは、もう治らないのではないか。

 若いころから、私の肩を揉むたびに、そう思ってきました。

 母親譲りの石のように硬い肩、これとともに私の人生が在りました。

 しかし、昨年末に、ふと、この硬い肩を何とかしてみようと思い、そこに光マイクロバブルの近接噴射をしてみたことがありました。

 そのような試みは、以前に何度もなされたことがあったのですが、それがいつの間にか忘れられ、長く続くということが一度もありませんでした。

 それは、「簡単には治らない」と思っていたからであり、それゆえに、長く続くことができずに、そのうち忘れてしまうという、ある意味でいいかげんな対応に終始していたからでした。

 ところが、その昨年末から、その光マイクロバブルマッサージが、一度も休むことなく続き始めて約4か月を過ぎるようになりました。

 最初の頃の私の右肩は、何度も言ってきたように石のように硬く、おまけに大きな瘤(こぶ)状のものが形成されていて、そこを強く推しても、傷みも何も感じないという状態でした。

 私の光マイクロバブル入浴は、最初の10~30分においては持ち込んだ本の読書を常にしています。

 これが楽しみで入浴するようなものですので、今日は何を持ち込もうかと本を探すことにも楽しさを覚えています。

 この読書を開始して、その日の疲れが多い時には、すぐに眠気が襲ってきますので、その読書を諦めて、その微睡(まどろみ)のなかで、右肩に光マイクロバブルの近接噴射を行います。

 私にとっては、一日のうちで、最もここちよい時であり、それが進むとよりここちよい微睡へと変化していくのです。

 10分、20分、微睡が高じると、そのままうとうとと、仮眠してしまうこともあります。

 そして、その右肩への光マイクロバブル近接噴射が終わると、今度は、左肩へと移ります。

 この時に、右肩と左肩の凝りようを比較します。

 右の方は、それこそ石のように硬く、瘤(こぶ)ができていますが、左は、そこまでなく、わずかですがより柔らかく、瘤ができかかっている状態です。

ーーー そうか、右の方が、この左のようになることを最初の目標にすればよいのか!

 こう思いながら、左右の肩の光マイクロバブル近接噴射を終えた後に、それらを揉み比べてきました。

 しかし、この右肩は、約40年以上の年月を経て凝り固まってきた厄介者ですので、それが、それこそ一朝一夕に変化を来すはずもありませんので、とにかく、毎日、わずかな時間でもよいから、光マイクロバブルを当て続けるしかない、こう思っていました。

ーーー 今回は、忘れずに、毎日、必ず、光マイクロバブルを当てよう!

 こう思いながら、それを持続していたのですが、それが約2か月を過ぎたあたりから、あの石のように硬かった右肩の瘤(こぶ)にわずかな変化が起こり始めました。

 その変化とは、そこを強く推すと、わずかですが、その圧力によって痛みを感じるようになったことでした。

 それを覚えて、すぐに左肩の同じところを押してみると、こちらの方は、より痛みを感じましたので、

ーーー そうか、左肩の方に近づいていき始めたのか?

と思いました。

 私にとって、この微妙な変化は、非常に重要なことでした。

ーーー もしかして、重度の私の右肩が改善されるかもしれない!そうなると、40年、いや50年ぶりの改善になるのかもしれない!

 そこに、わずかであっても痛みを感じるようになったことは、何を意味するのであろうか?

 これに関しては、私の左足の改善結果が参考になりました。
 
 私の場合、仕事を集中しすぎて何日も連続して行うと、疲労が蓄積し、その結果として足がむくんでしまいます。

 足指の間に手指が入らなくなり、感覚もなくなっていきます。

 こうなると大変であり、その足指や脹脛(ふくらはぎ)にも、集中的に光マイクロバブルの近接噴射を行います。

 これによって、最初は痛みを感じなかった足指が改善してやや痛みを覚えるようになります。

 この経験がありましたので、この右肩の瘤を強く推した時に感じた痛みは、そこに身体的微妙な変化が起きたのではないかと推察しました。

         傷みを覚えるようになったことは?

 その変化については、その瘤(こぶ)の部分と周囲において、毛細血管が再生され、そこに血液が流れ始め、それに伴って神経も再生されてきたのではないか、と推察したのでした。

 そのことが、なぜ、「傷み」という現象として感知されたのか?

 これについては、その毛細血管と神経の再生が、未だ十分な改善にまで到達しておらず、そこには血液の滞りや神経の再生における不十分さが残っているからではなないか、こう考えました。

 しかし、この変化は、私に、さらに、それを継続して、問題の右肩を左肩の方に接近させよ、という思いを強めさせたのでした。

 もしかしたら、50年も石のようになっていた肩が、これから変わっていくのかもしれない。

 こう思うようになり、それからというものは、ますます、光マイクロバブル入浴を行うことが楽しくなりました。

 まずは、楽しい読書、続いて微妙に変化しはめた右肩への光マイクロバブル噴射、最後は、出浴前の体操と口腔、目の光マイクロバブルケアを行うことが、ゆかいな習慣になっています。

 それらについては、また別稿において紹介することにしましょう。

 「須らく雫の石を穿つ如く」は、高野長英先生が、宇和島の塾生たちに学則として最初の一条に示されたことですが、これに因めば、次のように表現できるようにおもわれます。

 毎夜、光マイクロバブルを石のように硬かった右肩の瘤(こぶ)に噴射し続けたことで、その瘤がわずかに穿たれ始めたのではないか。

 この結果と意味をよく考えなさい、といわれているようですね(つづく)。

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前庭のチューリップ