モッコウバラ
本日は、今朝から小雨模様、研究所の前庭のモッコウバラが水を得てうれしそうです。
弥生の季節も末日を迎え、大型の連休も始まりました。
世間では、この連休を迎えて、どう休養しようか、どこに旅しようか、家族サービスをどうしようかと考えておられると思いますが、私にとっては、この大型連休は研究を行う時だと考えて、それらを上記の休息や旅、家族サービスに費やしたことはほとんどありませんでした。
しかし、それでも連休の最後の日になると、近くの動物園や運動公園に子供たちを連れていくことで勘弁していただくこともありました。
そんな長い間の意識の定着のせいでしょうか、大型連休を目の前にしての予定はなく、静かに机を前にして書き物をすることになろうかと思っています。
さて、4月のガイダンスを行っておきましょう。
「須らく雫の石を穿つ如く」
高野長英先生が、宇和島藩の五岳堂の塾生たちに示した「学則」を、私自身にも適用して、その遂行を図ろうと思って、このシリーズの執筆を続けています。
先月のガイダンスにおいて、紹介した論文書きについては、その全7編のうちの第一編を書く終え、先日、無事学会への投稿を済ませました。
その論文題目は、次のように定めました。
「21世紀における高専改革の展望(Ⅰ)ー高専における実践的技術教育の足場ー」
およそ15000字余の長文になりました。
そして、現在は、それに続いて第二編を執筆中であり、その内容においては最も大切な佳境を迎えて、あれこれと考察を繰り返しています。
このように系統的な論文書きのコツは、四六時中、あそこは、どう考えるか、そこは、こう書いた方が良いのではないかと、頭のなかで考えることができるようすることにあり、そこで重要なヒントや叙述法が見つかると、すぐに机に着いて執筆を再開することが可能になります。
この第二報の題目は、次の通りです。
「21世紀における高専改革の展望(Ⅱ)ー高専史における長所の形成過程ー」
読者のみなさんは、高専を退職してから10年余も経過しているのに、なぜ、このような執筆を企むのか、と疑問を抱かれるかもしれませんが、それは、青春から始まって若手、中堅、年配者となって教育研究に勤しみ、幸いにして光マイクロバブルというすばらしい新物質との遭遇まで叶えさせていただいたことから、その最後の「御礼」、「感謝」をすべきではないかと関上げるようになりました。
この七編は、私にとっては、かなりの大著に近いものとなりますが、それをやり遂げることが、私なりの使命ではないかと思っています。
しかし、その執筆は、今年の初めからですので、ここまで来るのに4カ月を要してしまいました。
このペースでは、今年中に終わることはできそうにありませんので、今一度、本学則の第一条を思い起こして鼓舞することが必要ですね。
「遠ざかる『モノづくりの灯』(5050記念)」
ウォルター・アンザックソン著の『ダ・ヴィンチ上・下』の面白さは、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画・芸術論を詳しく紹介しながら、ダ・ヴィンチ自身の人物像をリアルに描いていることにあります。
それは、物理学者であり、脳科学者であったレーナード・シュレインによるダ・ヴィンチ論とはかなり違っていて、その比較を行うことによって、そのおもしろさが増してくることにも興味を覚えています。
レオナルドは、13歳で、当時フィレンチェ一といわれていたベロッキオ工房に弟子入りします。
ここには、ダ・ヴィンチのほかに、若きボッチチェリやミケランゼェロなどがいました。
その棟梁であったベロッキオは、有名な優れた教育者であり、弟子たちとともに集団で力を合わせて、絵画や彫刻、演劇や音楽界の舞台装置、さらには建築技術の開発にも取り組んでいました。
レオナルドやミケランジェロが絵画だけでなく、彫刻や建築技術に優れていたのは、このベロッキオを中心にした仕事を熟していったからであり、それらの実践が、レオナルドらの人格形成に非常に重要な役割を果たしたでした。
本シリーズでは、ダ・ヴィンチの絵画について記事に留まっていますが、そこから、さまざまな技術の開発、そして100年、200年先を見通すような科学的発見に結びついていきますので、その発達についての論究を重ねていく予定です。
「迫りくる食糧危機に備えて(5150回記念)」
鈴木宣弘著の『世界で最初に飢えるのは日本』を読み進めています。
これによれば、日本の食料自給率は、カロリーベースで37%とされてきましたが、これにはいくつものごましがあり、実質は10%程度しかないと指摘されています。
このことが、「世界で最初に飢えるのは日本」という最大の根拠となっています。
しかも、この飢えは、ウクライナにおいて核戦争が起こらなくても、その可能性があるというのが、著者の主張です。
その一番の原因は、自動車をはじめとする工業商品を買ってもらう替わりに、アメリカの農産物をほぼ無制限に輸入するという本末転倒の農政が行われていることにあります。
アメリカでは、農家にたくさんの補助金が与えられ、大量の農産物が生産されています。
そのおかげで、たくさんの農産物を安く作り、それをより高く日本に売りつけることで利益を得ています。
その日本は、アメリカに自動車などを買ってもらう代わりに、アメリカの農産物を購入するということが約束づけられているのです。
自国の農業と農家を潰してまでも、アメリカに従属して、工業製品を売り込むという異常なことが、50年以上も続いています。
しかも、ウクライナにおける戦争が拡大し、さらにエネルギーと食糧の高騰が続くと、自国の農業さえもが続けていけないという最悪の事態に陥ろうとしているのです。
その原因は、種子と肥料、そしてヒナが手に入らなくなる危険性を帯びているからなのです。
これらが、手に入らなくなる、あるいは、高騰によって買えなくなると、たちまち、翌年からは食料の確保が難しくなります。
このような事態に陥ろうとしているのに、農水省の対応は、ほとんど何もなされておらず、その危機に面したら、「サツマイモを植えて食べろ」といっているようで、まるで戦時中のような対応策しか講じられていないことが明らかにされています。
これらを踏まえて、何をどうしていくのか、その対策を考えながら、このシリーズを認めていくつもりです。
「『渡辺崋山』考(4950回記念)・崋山と長英」
この「仮想物語」は、高野長英と渡辺崋山が、宇和島藩の伊達宗城公に面会して内外情勢や西洋文化論を討論し合うという佳境を迎えています。
この記念シリーズを執筆する際に、ある著名な芸術評論家が、「渡辺崋山は、日本のレオナルド・ダ・ヴィンチになっていたかもしれない」という推論を示していたことから、そのことが気になって、崋山は、より積極的にダ・ヴィンチの芸術に迫ろうとしていたのではないか、そうだとすれば、崋山は、ダ・ヴィンチの何を知ろうとし、どう考えていったのであろうか、という疑問を抱くようになりました。
もちろん、盟友の長英も、そのことを大切に思い、親密になって崋山を応援しようとします。
そして、この問題は、長英の師であったシーボルトも関係していたことから、シーボルトとその弟子である長英と崋山の関係に及ぶ問題へと理解が深まっていったのです。
さて、これから、三者の関係が、どう深まり、展開していくのか、まるで歴史小説を「書いているような気分になっていますので、私も、その展開を楽しみにしています。
「老いの覚悟と生き方(4850回記念)・奥の細道」
松尾芭蕉の最高傑作の「奥の細道」をたどりながら、その句魂に触れながら俳句を学んでいこうと思いました。
この不易流行の旅を、これまで、その小説をこよなく愛読してきた森村誠一が、芭蕉に扮して同じ奥の細道をたどるという面白い企画を目にして、松尾芭蕉と森村芭蕉の両方の「杖跡」を旅し、学んでみようと思いました。
周知のように森村芭蕉は、写真俳句にも優れた秀作を詠まれていて、この手法も学んでみたいと思いました。
そして、いざ、実際に写真俳句を作ってみると、家内を始めとして親戚のみなさんも反応するようになり、森村さんがいっておられた写真俳句の効能が少し理解できたように思いました。
これからも、両芭蕉に学びながら、奥の細道を訪ねていきたいと思います。
(つづく)。
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