55年ぶりの初参加
本日、宇佐高校の同窓会が、宇佐市法鐘寺の菊水旅館で開催されました。ありました。
これまで,何度か案内を受けていたのですが、なかなか参加することができずにいましたので、じつに55年ぶりですが、懐かしいみなさんと旧友を温めることができました。
私は、高校三年生の時に病気で1年間休学していましたので、この同窓生のみなさんとは、高校最後の年に1年間を一緒に過ごすことができました。
そこで、せっかく宇佐に赴くのだからと思って、家族と一緒に早く宇佐について、私の家の畑に木が生えて林のようになっていましたので、それらを切り倒し、整備を行う作業を行いました。
ここは幼い頃に「試験場の畑」と呼ばれていて、ここにキュウリやトマトなどが植わっていて、母と一緒によく収穫に出掛けていました。
そこが放置されたままでしたので、木が林立するようになって、その整理をしていこうということになりました。
わたしとしては、久しぶりの肉体作業であり、それができるかなと、やや心もとない想いもありましたが、いざ、現地で作業を始めて見ると、意外と身体が動いていったことから、やや安堵の身持ちが湧いてきました。
この作業を約3時間行い、そこから、すぐのところにあった会場に赴きました。
なにせ、55年ぶりの再会でしたので、その大半の方々については記憶を呼び戻すことができませんでした。
私が座った席の左は、司会をなさった方で、中津市で高校の先生をされていた方で、バレー部の指導教員もなさって、全国大会で5連覇という偉業をなされた方でした。
また、右側は、定年後に、宇佐市院内の郷里に帰られ、今は、シイタケづくりをなさっている方でした。
周知のように、宇佐・国東地区は、シイタケの名産地であり、良質の「どんこ」と呼ばれる肉厚のシイタケが栽培されています。
その出荷時には、採りたての生シイタケが、近くのスーパーの店頭にも出てきますので、それらをいただくのを楽しみにしています。
宴も、たけなわになった頃に、Kさんが、やって来られました。
「覚えておられますか?Kです」
白髪混じりの品のよさそうな方でしたが、その記憶を辿っては見たものの、思い出すことができずに、
「すみません。覚えていません」
と、正直に返事をしました。
そこで、かれは嬉しそうに、こう切り出しました。
「剣道部の練習で、大成さんに鍛えられました」
「それは1年生の時ですか、それとも2年生ですか?」
「私は、すぐに入らなかったので、2年生の時だったと思います」
「そうですか、それは良かったですね」
かれにとっては、きっと記憶に深く刻まれた剣道の練習だったのでしょう。
その話から始まって、互いの仕事を紹介し合うことになりましたが、なんとかれはN市でクリニックを経営されている院長さんでした。
私も、中津市の病院や歯科医院との共同研究を行っていますので、しばらくはそれらの医療のことで話が盛り上がりました。
名刺交換も行いましたので、これからメイルなどによって交流ができるとよいですね。
二人目は、西宮から来られた方で、私の光マイクロバブル技術に予てから関心を持たれていたようです。
定年後に、新しい技術を開発しようとして光マイクロバブル技術に興味を寄せられていたようで、かれの関心を寄せているテーマについて、しばらくの楽しい談義を行うことができました。
「もしよろしかったら、私のブログがありますので、それを一読されてみてください。あなたが関心を寄せられているテーマについても言及しています」
かれは、帰ってから拝見するといっておられました。
3人目は、小学校から、中学、高校と一緒に歩んできたY君でした。
前述のように、私は、高校三年生生活を2回行っていますので、私とかれが、同じ学年として卒業しているということは、かれも、どこかで学年をだぶっていることになります。
そのことを尋ねてみる、どうやら、それが中学生の時だったようで、その長い道程を共に過ごしてきたことから、ほのぼのとした友情と親しみを覚えてきた友でした。
性格が素直で、おっとりしていたことから、私とも気が合って「YUちゃん、YUちゃん」と呼んでいました。
かれは、私が住んでいた旧四日市町(宇佐市四日市町)のやや北側に住んでいて、中学校へは、そのかれのお父さんの店の前を通り過ぎていました。
そのころからの話に始まり、高校の時のこと、そしてかれの結婚のことまで話が弾みました。
どうやら、かれは、私に諸々のことを聞いてもらいたかったのでしょうか、縦糸に水のように、話をしてくれました。
このように、身内のことまで含めて真摯に話ができるのも心許せる友ならではことであり、
改めて、かれとの旧交をより深めることができました。
4人目は、A君のことであり、私の席の真向かいから右に4人目の席に座っておられました。
その方角を向いた時に、目と目が合い、自分の席の前に来いといい始めたのです。
その時は、行こうとしても、そこに行くには数人を押しのけていかねばならず、どうしようかと困っていました。
そしたら、しびれを切らしたかれが、私の前までやってきて、やや怒った表情でしたので、こちらからやんわりと尋ねました。
「あなたは、たしか柔道部のA君ではありませんか?」
「いや違う、おれはバスケットボールをやっていたよ」
ーーー そうか、おなじA君でも、柔道部の方は1年上のA君だった!
かれは、そういいながら、
「この前、俺のところに電話をしてきただろう?」
こう何回も尋ねてきました。
「いいえ、電話をかけたことはありませんよ!」
こう答えると、かれは怪訝な顔つきになって、
「そんなことはないだろー、お前は、顔色が悪いなー、生気がないぞ!トリイ!」
「トリイ?私は、トリイではありませんよ!」
こういわれて、かれがまるっきり、人間違いをしていることがわかりましたので、私の名札を前に出して見せると、かれの表情が一変しました。
どうやら、ここにきて、自分の人違いであることを悟ったからでした。
たちまち、それまでの言葉使いが改まって、バツの悪そうなやり取りになりまして。
そして、かれは、すごすごと退散していきました。
酒の席のことだから、互いに年も取っていることだし、それ以上のことは何も起こりませんでしたが、これも55年の年月がそうさせたのでしょう。
菊水旅館の料理
もう一つの楽しみは、開催会場となった菊水旅館の料理がおいしい、と幹事の方から聞かされていたので、それを賞味することでした。
とくに、ここの女将さんは、「ネギしゃぶ」という用語を商標登録までされているそうで、それがどのように料理されて出てくるのかに興味を覚えていました。
目の前には、直径5㎜前後、長さ20㎝の小ネギは山盛りにされていました。
それをこそっと1本、生のままで食べてみました。
ーーー おしいけど、MOネギとはちょっと違うな!
こちらの方が、なんとなく張りがなく辛みも少ないようだ。
甘味も少なく、おとなしい味だ!
これに対して、MOネギは、張りと噛み応えがあり、新鮮な辛みとより強い甘みがあり、より上質だと判断しました。
そして、これを鍋に入れて温めると、その違いがより明瞭になりました。
やはり、MOさんが苦労された無肥料、無農薬の光マイクロバブルMOネギですね。
この比較で、より一層、MOネギの立ち位置が明瞭になりました。
さて、このネギしゃぶの料理は、まず、薄く切った鱧(はも)の刺身を鍋に入れて食べながら、小ネギを入れて食べるという手の込んだ食べ方でした。
鱧の味が、汁に溶け込んで、それをネギと一緒にいただくと、より一層美味しくいただくことができました。
そして、これからが、女将の料理の真骨頂であり、鱧を食べ終わると豊後牛が入り、それをネギと一緒に食べさせるという豪華版でした。
その後も美味しい豚肉、そして饂飩(うどん)と続いていきましたが、それらをとても食べ熟すことができませんでした。
ほかにも、白魚の刺身、モズク、小エビの煮物、大きなエビの焼き物、ホタルイカ、ワタリガニと、真に豪勢であり、何年振りかと思えるほどの、立派ですばらしい料理でした。
みな高齢者ですので、当然のことながら、これらの多くを残していましたので、ご丁寧にもお土産として包んでくださった方がいて、これもありがたいことでした。
こうして初めての、そして55年ぶりの再会同窓会、みなさんの生き様や人生についての落ち着き先などを知ることができて、非常に参考になりました。
もう一つの収穫は、光マイクロバブルのことを知って尋ねてきたが幾人かいたことであり、それだけ、この技術が広まっていることを知ったことでした。
さすがに、自分で開発した技術を企業として広めようとしている方はいませんでしたが、逆に、それだけ私の方が、世間のなかで珍しいことをしていることも明らかになりました。
次は、かれらと一緒になって、郷土のために何かよいことができるとよいなと思いました。
同窓生のみなさん、ありがとうございました(つづく)。
チューリップ(前庭)
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