肩凝り

 私の体調不調のひとつに、頑固な肩凝りがあります。

 これは母親譲りであり、私を服の洋裁の内職のみで大学の学費と生活費を送ってくださった母の肩は、それこそ岩のように硬かったことを思い出します。

 時々、母の肩揉みをしたことがありましたが、その度に、あまりの硬さにたじたじになっていました。

 それでも母は、気持ちよさそうに喜ばれていました。

 その母親譲りの肩の硬さに触れる度に、母を思い出せてくれますので、その方に感謝していますが、それでも、その凝りが進んでくると首が回らくなります。

 私の場合、右肩の凝りが石のように硬く、一方の左肩は、その一歩手前状態にあります。

 そして、仕事が重なってくると、その障害が、もう一方の左肩と首筋に現れてきます。

 そこらを揉んでもらうと、それこそ傷みがひどくて、「イタイ、イタイ」を連発するようになります。

 この極限に達した時には、家内に頼んで、その左を揉んでもらいますが、それによって何とか、それ以上の事態に落ちることを回避することができました。

 しかし、右肩の方は頑固そのもので、相変わらず石のように硬いままでした。

 「このまま一生涯、このような右肩のままで過ごしてしまうのか?」

 こう思いながら、後期高齢者をまもなく迎える年齢にまで達してきましたが、それでは、「マイクロバブル博士の名が廃るのではないか?」という思いが年々強まってきていました。

 それに、今年2023年は、何かと小さくない懸案事項が増えてきそうな気配でしたので、ここは一念発起して、この右肩の凝りの溶解に挑んでみようかという気持ちになりました。

 なにせ、本ブログ記事においては、「須らく雫の石を穿つ如く」と大見得を切っていることから、「肩は石よりも柔らかいのではないか?」と尋ねられた場合には、その通りですと素直に答えるしかありません。

 そこで、ここは、そう尋ねられる前に、この石の如く硬い私の右肩を柔らかくしてみようではないか。

 そう意気込んで、今年の正月から、大胆不敵にも、それに挑んできたのでした。

 じつは、この挑戦については、これまでに何度か実行したことがあったのですが、それが長続きせず、いつの間にか、忘れてしまうという意志薄弱な行為に留まっていました。

 そのために、私の右肩は、石の如く、そして母の如く、存在し続けてきたのでした。

 さて、問題の大元は、その石のように硬い私の右肩にありますので、その症状を示しておきましょう。

 その第1は、首と肩の中間部分に大きな、そして硬い塊状のものが形成されていますので、これを何とか小さくしていく必要があります。

 先日、テレビで肩凝りに関する番組があり、そこに登場していた専門家は。まず、皮膚と脂肪を剥がすことを推奨されていました。

 凝った肩の部分において、その表面の皮膚だけを摘まんで脂肪の部分から剥がすことを促されていました。

 私も、それに従って皮膚を摘まみ上げようとしましたが、これが難しく、皮膚表面と脂肪が付着して一体化していたからでした。

 それでも諦めずに、その皮膚剥がしに挑戦して、今では、簡単に分離できるまでになりました。

             傷みがない

 それでも、右肩の凝り固まった部分は、まるでゴルフボールが入っているようで、少しも変化はありませんでした。

 そこで、その凝り固まった部分を強く指で押してみました。

 同様に、同じ行為を左肩の同じ部分に対しても実行してみました。

 両者の具合は、明らかに異なっていました。

 右の方は、いくら強く推しても痛みを感じることが少しもありませんでした。

 しかるに、左の方では、傷みを覚え、強く押せば押すほどに、その傷みを増していきました。

 「左の方が少しばかりの正常状態、やがて、こちらの方も右のようになってしまうのか!」
 
 こう思って、それを何とか阻止しなければならないと思うようになりました。

 それを阻止し、せめて、右を左のように改善する、そして肩の荷を下ろせるようにする、そのために私が持ち合わせている武器は、光マイクロバブルしかない、こう覚悟を決めて、その実験を開始したのが、年頭のことでした。

 次回は、それから3カ月余が過ぎた今日までの経過に分け入ることにしましょう(つづく)。

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前庭のチューリップ