裏見の滝へ

 日光東照宮を後にした芭蕉と曽良は、約4㎞の道程を徒歩で「裏見ノ滝」へ向かいました。

 この滝は、文字通り、裏から滝を見ることができ、そこには不動明王が祀られているそうで、芭蕉らは、これを拝見して修行に打ち込みたかったようです。

 また、このように裏から見ることができる滝は、全国各地に数多くあります。

 大分県においても、三大裏見の滝として、「慈恩の滝」、「福貴野の滝」、「黄金の滝」が有名です。

 そういえば、名画『隠し砦の三悪人』のなかにも、裏見ができる滝が出てきていましたが(私の記憶では、そうなのですが、確かめてはいないので、間違っているかもしれません)、これは長野県の「唐沢の滝」だったようで、この滝の傍から枝の中に隠された「金の延べ棒」が出現していました。

 日光地方には滝が多く、この滝は、華厳ノ滝、霜降ノ滝と並んで「日光三名瀑」と称されていましたので、芭蕉は、ぜひともここに立ち寄りたかったのでしょう。

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裏見ノ滝(日光旅なびHPより引用)

 滝の高さは約20m、みごとな滝であり、ここで気を引き締めて修行するのにふさわしい滝との出会いでした。

 この日は、深川をでてから3日目、この滝を見て、そして打たれて、これからの旅に備えたかったのでしょう。

 ここで、次の名句を詠まれています。

 斬暫くは 滝に籠るや 夏の初め(しばらくは たきにこもるや げのはじめ)

 滝の裏側には不動明王が祀られていたそうで、その仏像と共に裏側から滝をじっと眺めていると、夏籠りをしている修行僧のような気持になり、身も心も引き締まるという気持ちを詠んだのでしょう。

 ここでおもしろいのは、芭蕉が深川を旅立って3日目に、ここを訪れたのですから、その日は4月の2日になります。

 ここにしばらく滞在したとしても、それは4月の中旬には至っていません。

 しかも、そこは東北路ですので、未だ春が始まったばかりなのに、その時を「夏の初め」と詠ったのです。

 そこ不動明王と共に過ごした裏見の場所は、まるで時が止まっているかのように、昔のままであり、動いているのは水の落下のみでした。

 しかし、芭蕉にとっては、この時空間が止まっていたのではなく、その心身の清浄と洗練によって一気に春を通り越して初夏にまで進んでいったのではないでしょうか。

 これを平たくいえば、「気分一新」の修行がなされて、さらに芭蕉の俳句道が深くなったことを意味しているような気がします。

 約1時間前には、絢爛豪華な日光東照宮において、にぎやかに「三猿」や「眠り猫」を見て喜んでいた観光客の喧騒から、今度は自然の緑に囲まれた水しぶきのなかへと入っていったのですから、そこには時空間を超越した、すなわち時が進まない、昔のままの絶対空間があったのです。

 さて、ここを訪れた森村芭蕉は、「時が隔絶された空間」のことを指摘され、次の句を詠まれています。

 滝飛沫(たきしぶき) 人の時間の 奥にあり

 森村芭蕉は、この句を解りやすく説明するために、相対性原理を引用されています。

 芭蕉の修行の時間は短かったかもしれないが、その時間は下界においては相当に長いものだったのではないか、つまり、宇宙での1時間は、地球に帰ってみると何日にも相当していた、この「斬暫くは」の言葉には、下界の浮世とは異なる時間が凝縮されていたのではないかと指摘されています。

 そうであれば、そこでの修行の数日間は、一挙に時を早めて「夏の初め」にまで進んでいってもふしぎではありませんね。

 奥の細道の旅は、相対性原理に基づく旅であった、森村芭蕉の推察は、真に鋭く、すばらしいですね。

 この浮世の時空間を超越した心身の旅、その真髄のなかに、何とかして深く分け入ってみたいものですね(つづく)。

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アイコ(緑砦館1)