老いと微笑みの哲学(1)

 『老いの正体』の著者である森村誠一さんは、このなかで、自らが老人性うつ病、そして認知症になりながらも、家族とともに素晴らしい努力で抜け出していかれました。

 その鍵となったのが、森村さんのいう「志」であり、その正体が作家としての「未知なるものへの探究心」を忘れず、貫かれたことでした。

 長文を書けなくなった時には、短文でもよいから認める、詩も、さらには、散歩の途中で気に入った光景に巡り合うと手持ちのカメラで撮影する、何か良いアイデアを思い浮んだ時にはICレコーダーで声を記録することなどを続けられました。

 そして、もう一つの重要な探究心が読書の行為でした。

 作家の習性として、新版の書物を読むことは必須のことであり、これによってライバルがが素敵なアイデアを披露していれば、敵愾心が湧いてきて「なるほど」と感心しながらも「もっと良いアイデアを出してやる」と闘志を新たにしたのでした。

 また、それが稚拙であれば、「私だったら、こう書くのに!」と余裕を感じて密かに諭すおともありました。

 その意味で、新版本の読書は、作家としての糧でもあり、そこから様々な刺激を受け、アイデアを沸き立たせる手段でもあったのです。

 つまりは、未知なるものを探究する手段として、そして作家としての現役を保つ手段として、読書は最適なものであり続けたのです。

 未知なるものを探究することができたことは、作家が希望を抱くことでもあり、その希望のために読書を重なることに楽しみを覚えていたのではないでしょうか。

 こう考えますと、私の人生における後編の第二章は、「老いの読書哲学」といってもよいでしょう。

武器としての笑い

 学生時代に愛読していた雑誌に『唯物論研究』があり、そのなかで京大の教授であった戸坂潤という哲学者がいたことを知りました。

 かれの名著に『武器としての笑い』がありました。

 たしか、このなかで、次のように読書論が紹介されていました。

 「良い本とは、それを読み終わったときに、次の本を読みたいとおもわせる本である」

 おそらく、読書の度に、かれは、そういう想いを抱いたからなのでしょう。

 そして、笑いは、ヒトとして最も高度な固有の行為であり、それこそが「人間らしさの証明である」ということを強調されていました。

 良い本に出合うと、それを読むのが楽しくなり、私の場合、それをどこでも持って入り、手放せなくなります。

 私の書斎の机の右側には、数十冊の本が山積みされ、それを見ながらパソコンに向かっています。

 またトイレのなかでは、現在、一冊の読みかけの単行本と雑誌が置かれています。

 さらに、光マイクロバブル風呂に入る際には、それをすべて読むわけではないのに、三冊もの単行本を持ち込みます。

 なぜか、その方が安心して入浴読書ができそうな気がするからです。

 その際、気を付けなければならないことは、それが難しい内容だと、すぐに眠気が襲ってくるのです。

 なぜなら、わが家の光マイクロバブル装置は強力なので、すぐに、ここちよくなり、その次には、まどろみに陥ってしまうようになるからです。

 少し長く読みたいときは、窓を開けて冷気を風呂の中に入れること、それから退屈しない、読んでて楽しい内容であること、そして、気に入って、どうしても頭のなかに叩き込みたいとおもっている本を選ぶのがよいですね。

 ここちよさの第二段階、すなわち、まどろみに勝る、おもしろさ、読み応えが必要になります。

 さらに、素晴らしい本であると感動した場合には、それを繰り返し読むようにして、まず、その重要な部分を読書ノート(最近はワード文書にして記録)を作ります。

 そして、これを何か重要な文章を認めるときの下敷きにします。

 その執筆のひとつが、このブログの記事ですが、ここでは、できるだけ平易に、わかりやすく書くことを基本にしていますので、いわば導入のための「手始めの文章」と認識しています。

 さて、第5100回記念シリーズのタイトルは、本文章を別のタイトルで認めていたところ、「武器としての笑い」のことをおもいだし、「そうか、これがいい、『微笑みの哲学』にしよう!」とおもいました。

 早速、その名著『武器としての笑い』を、たしか岩波新書だったようにおもいますので、それを書斎に行って探してみることにしましょう。

 さて、この「笑い」については、素晴らしい先輩たちがたくさんおられます。

 渥美清さんと山田洋次監督がコンビを組んだ『男はつらいよ』、井上ひさしさんの『吉里吉里人』ほか笑い満載の小説、三谷幸喜さんの『笑いの大学』ほか、さらには、松本ヒロさんによる政治を笑い倒すパントマイムや「憲法君」など、それこそ秀逸な著作や演技が目白押しです。

 これらの笑いの奥には、常に新しいものを求めて未知なるものを探究していこうという姿があり、しかもそこには、しっかりした「鮮やかな志」が貫かれています。

 良い本に出合えて、そして素晴らしい内容に感動した時には、自然に心が和み、うれしくなって、そこはかとなく微笑んでいる自分に気づくことがあります。

 これは、新たな科学的発見をしたとき、素晴らしい技術的な開発をし終えたときにも、それを感じるとともに自然の微笑みが生まれているのです。

 おそらく、それゆえに、よい本に出合った時には次の本を探して読もう、という気持ちが、その微笑とともに心の底から湧いてくるのだとおもいます。

 これは、ある意味で、人としての本能に近いものかもしれません。

 本当においしい食べ物は、それを食べた後に、すぐにまた、それを食べたくなるものであり、それと同じことが、読書にも、そして武器としての微笑みにも含まれているのではないでしょうか。

 本記念シリーズにおいては、枯渇することがない希望を与えてくれる読書本に出会い、それによって、こそこそと静かな微笑を誘いだし、そこから、さらに未知なるものを探究していく、このような実践についてのいくつかを紹介できると幸いです。

 老いの哲学としての笑い、それを颯爽と武器にできるようにしたいものですね(つづく)。


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ミモザ(前庭)