青年レオナルド・ダ・ビンチ

 フランスの小説家 マルセル・ブルースト:
 
 「本当の発見の旅とは、新しい風景を探すことではなく、新しいものの見方を持つことである」


    物理学者であり、癌に犯されながらも、死を待つベッドのなかでもレオナルド・ダ・ヴィンチの研究と執筆を貫いたレーナード・シュレインは、このブルーストの言葉を引用して、レオナルド・ダ・ヴィンチが、100年、200年の時代を超えた「新しいものの見方」を創造したことを前述の著書において論証されています。

 すでに述べてきたように、レオナルド・ダ・ヴィンチは、近隣の村の小作人の娘に産ませた子であり、その父親のセル・ピエロは、その娘カテリーナを他の男に嫁がせ、自分は、他の裕福な娘と結婚し、レオナルドをカテリーナから引き離したのでした。

 そのためレオナルドは、正規の息子としては認知されず、教会内の学校において勉強することができませんでした。

 当時の公用語はラテン語であり、それを身に付けたものだけが出世を保証されていました。

 しかし、学校に入れないレオナルドは、ラテン語を学ぶ「エリート」たちからは馬鹿にされながらも、興味を覚えた実践を自由存分に試していくことができました。

 この実践のなかで、かれの右脳が発達させていったことが決定的に重要であり、それが芸術家、科学者、発明家という独特の人物形成の土台を創っていったのでした。

 10歳のころに、父親のピエロから盾の絵を描くようにいわれたレオナルドは、ある怪物の絵を描いて、それを物置に置いていました。

 そうとは知らずに、ピエロがそこに入ってきて、本物の怪物がいると錯覚するほどのリアルな絵を見て、レオナルドには絵の才能があることを悟りました。

ヴェロッキオ工房

 このまま自分のところで養うよりも、当時フィレンチェで最も有名であったベロッキオの工房に入れた方がよいと考え、かれが14歳の時に、その弟子入りをさせました。

 当時のヴェロッキオは、メディチ家の支援を受けて押しも押されぬ第一線の芸術家であり、よき教育者であったことから、レオナルドの才能をすぐに見抜き、かれを自分の仕事に参加させたのでした。

 その最初の仕事が『キリストの洗礼』であり、主要なキリストの姿はヴェロッキオが描き、向かって左側の天使像はレオナルドとボッチチェリが描いたとされています。

 このレオナルドが描いた天使像が後に評判になり、かれは、それ以降絵を描くことを止めてしまったという逸話が残っています。

 このヴェロッキオのことを調べていて、次の重要な特徴に気付きました。

 ①レオナルドは、14歳で父の勧めもあってヴェロッキオの工房に弟子入りします。

 このとき、ヴェロッキオは、すでにフィレンチェを代表する芸術家といわれるまでになっており、いわば、レオナルドはヴェロッキオの円熟期における弟子となっったのでした。
 
 ヴェロッキオの専門は彫刻でしたが、それに留まらず、絵画や版画、鋳造、機械工学、数学、音楽の才にも恵まれていて、メディチ家の幅広い要請に応えた信頼される芸術家および科学者になっていました。

 おそらく、少年であったレオナルドは、このヴェロッキオの指示に従って仕事を手伝うなかで、その博識と芸術性を身に付けていったのではないでしょうか。

 もしかしたら、「ヴェロッキオという師匠のようになりたい、なっていこう!」と願っていたのではないでしょうか。

 この学識の広さ、芸術性の広さは、後に成長を遂げていくレオナルドの姿とかなりの部分が重なっていきます。

 ②ヴェロッキオは、同業者からは『稀代の良師』と呼ばれたほどであり、弟子たちを育てる教育者としても第一人者でした。

 父親には、それが欠けていたことから、レオナルドは、ヴェロッキオの教えを身に沁みてありがたく、尊敬に値することだと、憧れたのではないでしょうか。

 それゆえ師から学ぶことを真正面から受け入れ、きっと、自分もそうなりたいとおもうようになっていったのだと推察されます。

 ③ヴェロッキオにとって弟子を鍛える最も適切な方法は、かれらを自分の仕事に組み入れて第一線の仕事をさせることであり、かれは、その機会を与えることが教育実践の極意であることをよく理解していたのではないでしょうか。 

 そのことを象徴的に示したのが、上述の『キリストの洗礼』であり、ヴェロッキオが描いた主人公のイエス・キリストよりも、その脇役のレオナルドが描いた天使の一人の方が目立って評判になった、ヴェロッキオにとっては「一大事件」が起きたのでした。

 この時、師としてのヴェロッキオは、レオナルドの才能を真に理解することができて大いに喜んだのではないでしょうか。

 これによって、レオナルドの絵画の道が拓かれていきました。

 その『キリストの洗礼』の絵画を示しておきましょう。

 向かって一番左側の天使像がレオナルドによって描かれたものだといわれています。

kirisutonosennrei
キリストの洗礼(Wikipediaより引用)

 ④もう一つは、ヴェロッキオが製作したバルトロメオ・コッレーニの騎馬像に関することです。

 この像は、現在、ヴェネチアのサンティ・ジョヴァンニ・ェ・パオロ広場に建立されています。

 このコッレーニが乗る馬の姿と筋肉の描写はみごとであり、この製作にもレオナルドが参加した可能性があります。

 この像の大きさは、台座を除いても395㎝という巨大なものであり、これを3本の足で支えた像ですので、力学的構造に長けていないと、このような立像を設計、製作することはできないとおもわれます。

 おそらく、レオナルドの一連の研究は、この騎馬像に関わることで啓発されたのではないでしょうか?

 その意味でも、これを製作、建立したヴェロッキオチームの取り組みが、レオナルドに小さくない影響を与えたのではないかとおもわれます。

 このように、レオナルドのヴェロッキオ工房への弟子入りは、まず絵画において花開き、彫刻から馬の研究へと続き、そのヴェロッキオ工房のノウハウを存分に習得していくことに結びついていったのではないでしょうか。

 「無学の徒」であり、実践を通して学ぶというスタイルを幼いころから確立していたレオナルドにとって、ヴェロッキオ工房は、かれにとって打って付けの職場だったのです。

 そして、多彩で著名な師であり、教育者であったヴェロッキオは、レオナルドにとっては恩師であり、憧れの的だったに違いありません。

 この師の下で、レオナルドの才能が全面的に発達を遂げていったようにおもわれます。

 レオナルドの「新しいものの見方」は、恩師を学ぶことによって育まれ、その恩師と共同の実践によって鍛えられ、洗練されて花開いていったのではないでしょうか。

 その意味で、父親のピエロが、フィレンチェにおいて最も優れていたヴェロッキオ工房を探し当て、そこにレオナルドを弟子入りさせたことは大正解だったのです(つづく)。