荒野を進む若者たち(藤井聡太の場合(4))
第四は、藤井聡太五冠が、終盤戦において卓越した読みを発揮し、勝ち切る鋭い洞察力をどのように磨き、洗練させたのかという重要な問題です。
藤井五冠のデビュー以来の戦績は、278勝56敗、その勝率は8割3分2厘です。
真に素晴らしい勝率ですが、この負けは、初期のころのことであり、最近のタイトル戦においては、ほとんど負け知らずで、この勝率がさらに高まってきているのです。
この間、叡王戦、竜王戦、名人順位戦を視聴してきましたが、その基本的な戦法は次のようでした。
序盤戦:藤井5冠が編み出した角換わりの藤井戦法で陣形を整える。
中盤戦:60分を超える長考を行い、相手よりも約1時間多く持ち時間を費やして読み込む。
終盤戦:鋭い洞察によって勝ち切ることを読み切り、比較的短時間において指していく。一方、相手の方は多くの時間を費やして、持ち時間が無くなってしまう。
例えば、藤井5冠が40分の持ち時間を確保しているときに、相手の方は持ち時間を無くしてしまい、秒読みになる。
読み深さの差が、このような将棋展開に追い込んでいくことから、堂々と勝ち手を進めていくことができるのではないでしょうか。
さて、本記事にける主題は、その抜群の読み深さによって、相手に勝っていく将棋力における格別の洗練性を、どう身につけてきたかという問題を考察することです。
真に素晴らしい勝率ですが、この負けは、初期のころのことであり、最近のタイトル戦においては、ほとんど負け知らずで、この勝率がさらに高まってきているのです。
この間、叡王戦、竜王戦、名人順位戦を視聴してきましたが、その基本的な戦法は次のようでした。
序盤戦:藤井5冠が編み出した角換わりの藤井戦法で陣形を整える。
中盤戦:60分を超える長考を行い、相手よりも約1時間多く持ち時間を費やして読み込む。
終盤戦:鋭い洞察によって勝ち切ることを読み切り、比較的短時間において指していく。一方、相手の方は多くの時間を費やして、持ち時間が無くなってしまう。
例えば、藤井5冠が40分の持ち時間を確保しているときに、相手の方は持ち時間を無くしてしまい、秒読みになる。
読み深さの差が、このような将棋展開に追い込んでいくことから、堂々と勝ち手を進めていくことができるのではないでしょうか。
さて、本記事にける主題は、その抜群の読み深さによって、相手に勝っていく将棋力における格別の洗練性を、どう身につけてきたかという問題を考察することです。
実践を通じて磨かれる洗練性
この洗練性は、第一に実際の戦い、すなわち実践のなかで鍛えられるということです。
相手を前にして、その動作や目つきに左右されずに、そしてタイトル戦という緊張のなかであっても、決して焦らず、緊張せずに、怜悧に読み進めることに優れているのです。
この洞察過程において、盤面に集中しながら、粘りに粘って読みを重ねて、進める、この粘りと読みのサイクルを高次元に発展させていくことに抜群の能力を発揮させることができるようになったのではないでしょうか。
この粘りのなかで読み進めることを高次元に発達させる能力こそ、格別に優れた洗練性といってよいでしょう。
その第二は、この洗礼性を、幼い時から鍛えに鍛えてきたのではないかという問題です。
聞くところによれば、藤井五冠は、幼いころからAI将棋に慣れ親しんでこられたそうです。
このAI将棋との弛まぬ戦いに慣れ親しみ、それによって勝ち進むことで将棋が好きになり、ますます将棋に打ち込むようになり、その粘っては読むという力を養成することによって、その洗練性を高め鍛えてきたようにおもわれます。
ここで重要なことは、心底から将棋を指すことが好きであることです。
とことん好きであれば、四六時中、飽きることなく将棋に打ち込むことができるようになり、それによって勝つ喜びを知れば、さらに面白くなり、ゆかいな気分を味わうことができるようになります。
こうして、最初の29連勝から、勝ち続け、今では五冠から八冠をめざすまでに成長してきたのです。
そして、さらに重要な第三の洗礼性の養成問題は、かれの人間としての資質に関することです。
そのことが、みごとに現れるのが、藤井5冠の勝利の直後における感想タイムです。
この感想タイムにおいて、藤井五冠は、勝っても負けても、必ず、先に相手方に発言させます。
ここに優れた謙虚さ、やさしさ、思いやりのすばらしさを感じます。
そして、この感想において、思いもよらない手があったことが披露され、相手も周囲のみなさんも驚いてしまうことが珍しくありません。
ところで、この素直で、おとなしい、やさしい性格と謙虚な資質の持ち主の藤井五冠は、日本の若者において特殊な存在なのでしょうか?
私は、前職場において、何百、何千という高専生と接してきました。
この高専生の資質が、藤井五冠のそれとよく似ているのではないかとおもいます。
相手を前にして、その動作や目つきに左右されずに、そしてタイトル戦という緊張のなかであっても、決して焦らず、緊張せずに、怜悧に読み進めることに優れているのです。
この洞察過程において、盤面に集中しながら、粘りに粘って読みを重ねて、進める、この粘りと読みのサイクルを高次元に発展させていくことに抜群の能力を発揮させることができるようになったのではないでしょうか。
この粘りのなかで読み進めることを高次元に発達させる能力こそ、格別に優れた洗練性といってよいでしょう。
その第二は、この洗礼性を、幼い時から鍛えに鍛えてきたのではないかという問題です。
聞くところによれば、藤井五冠は、幼いころからAI将棋に慣れ親しんでこられたそうです。
このAI将棋との弛まぬ戦いに慣れ親しみ、それによって勝ち進むことで将棋が好きになり、ますます将棋に打ち込むようになり、その粘っては読むという力を養成することによって、その洗練性を高め鍛えてきたようにおもわれます。
ここで重要なことは、心底から将棋を指すことが好きであることです。
とことん好きであれば、四六時中、飽きることなく将棋に打ち込むことができるようになり、それによって勝つ喜びを知れば、さらに面白くなり、ゆかいな気分を味わうことができるようになります。
こうして、最初の29連勝から、勝ち続け、今では五冠から八冠をめざすまでに成長してきたのです。
そして、さらに重要な第三の洗礼性の養成問題は、かれの人間としての資質に関することです。
そのことが、みごとに現れるのが、藤井5冠の勝利の直後における感想タイムです。
この感想タイムにおいて、藤井五冠は、勝っても負けても、必ず、先に相手方に発言させます。
ここに優れた謙虚さ、やさしさ、思いやりのすばらしさを感じます。
そして、この感想において、思いもよらない手があったことが披露され、相手も周囲のみなさんも驚いてしまうことが珍しくありません。
ところで、この素直で、おとなしい、やさしい性格と謙虚な資質の持ち主の藤井五冠は、日本の若者において特殊な存在なのでしょうか?
私は、前職場において、何百、何千という高専生と接してきました。
この高専生の資質が、藤井五冠のそれとよく似ているのではないかとおもいます。
優れた人格の持ち主であることが、創造性や洗練性を豊かにしていく土台になるのです。
日本未来を担う若者たち
幼いころから将棋が大好きで、夢中になってプロ棋士になることを夢見て、まじめに、ひたすら将棋の洗練性を磨いてきた若者が、その努力の成果を花開かせ始めた、これが今の藤井五冠の姿ではないでしょうか。
たまたま、将棋の場合は藤井五冠ですが、このような日本の未来を担う若者は、様々な分野で存在しているのだとおもいます。
好きなことを思い切って行い、ひたすら粘り強く取り組み、勉強する、そして、その身を立てることを早く決めて、打ち込むことで高次の洗練性を磨き上げて立派に成長していく、これが、日本の若者の特質であり、長所ではないかとおもわれます。
その生きた見本がいるのですから、これからもからの活躍を見守り、その大事なところを大いに学んでいくことにしましょう。
「未来は、青年のためにある」
哲学者で弁護士、そして優れた政治家でもあった方の言葉を思い出しました(この稿おわり)。
隣の生垣
コメント