大晦日

 とうとう2022年も、大晦日を迎えました。

 温かい冬日和、柔らかい太陽光が降り注いでいます。

 本日は、毎年恒例の孫のユッツと家族を迎えての夕食会がありますので、朝からリビングの掃除、台所の片づけを行い、さらには、焼き肉の場所になる中庭の清掃を行いました。

 それらを終えて、緑茶をいただきながら、やや寛いでいるところです。

 昨日は、
沖縄に帰省していた家内から御祖母の悲しい訃報が届きました。

 私の母は、1994年に70歳で逝ってしまいましたので、それからは、私にとっても大切な母のようにおもっていましたので、家内には、たびたび、

 「沖縄のお母さんは、どうしているかね?電話をしてみたらどうですか?親が生きているうちにできる限りの孝行をした方がいいよ!」

と、いい続けてきました。  

 往年95歳、昭和の初めに生まれて、戦前、戦後の沖縄でたくましく生き抜いてこられました。

 早くに夫を亡くし、女手一人で、5人の子供たちを立派に育ててこられた、心やさしくて、たくましい偉大な「おばあ」でした。

 私の亡き母ともほぼ同年代でしたので、その面影を重ねて接することができました。

 家内は、その長女で、復帰前の沖縄から東京の音楽大学に進みましたが、その生活費の仕送りも大変だったのではないでしょうか(救いは、超円安で1ドル実質400円の時代でした)。

 そのころは、沖縄市の胡屋で「里」という沖縄蕎麦屋を営まれていました。

 子供たちを連れて里帰りをしたときには、いつも美味しい沖縄蕎麦を作ってくださいました。

 11月から、その「おばあ」の体調が悪化し、家内は、その見舞いと介護のために、帰省を繰り返し、今度が三度目でした。

 彼女にとっては、不幸中の幸いで、お母さんを十分にケアをしながら看取ることができたそうでした。

 あの沖縄戦では、戦火のなかで幼い弟を背負いながら逃げている最中に、その弟が凶弾にあたりい、背負ったままで亡くしてしまったという悲惨な経験を有していただけに、戦争は絶対にダメだといつも仰られていました。

 「だから、絶対に平和の知事デニーを落としてはいけない」

 これが、彼女の大切な思いでした。

 大戦前には、沖縄にも鉄道があり、その北の終着駅が嘉手納であり、よく遊びがてら鉄道を見に行かれたそうです。

 嘉手納は、平地で日当たりがよく、その地下には水も豊富にあったので、米軍は、真っ先に、ここを容赦なく占領して基地にしてしまいました。

 この鉄道を中心にして嘉手納の街並みがあったそうですが、その一番よいところを有無をいわさず、ブルトーザーと銃剣で奪い取ってしまったのですから、これが許されるはずがありません。

 自宅は、昔のコザ市、今の沖縄市にありました。

 そこに花束を持って結納に行きました。

 お母さんは、家内が嫁に行くために挨拶した際に、大粒の涙を流されていました。

 せっかく、地元沖縄の大学に就職できた家内が、また再び、沖縄を離れることになることに、一抹の寂しさが、結納の喜びと共に込み上げていたのかもしれませんね。

 これまでの母のような親身のご支援、真にありがとうございました。

 どうか、安らかにお眠りください。

 「素晴らしき哉、LEMB人生(5000回記念)」

 クリスマスイブの前日に、ジェイムス・スチュアート主演の映画『素晴らしき哉、人生』がNHKBS1において放送されていましたので、それを録画し、繰り返し視聴することができました。

 よい映画とは、繰り返し見ようという気持ちを呼び起こす、そして実際に見ていても、さらに次のシーンが解っていても、それを引き続き見ようとおもう気持ちになる、この魅力を有しているようです。

    この映画でおもしろいことは、未だ翼を与えられない二流の天使を登場させ、かれに、その翼を得るために修行をさせたことにあります。

 その修行とは、主人公ジョージの同僚が8000ドルの現金を無くしたことによって、住宅組合という会社組織が倒産の憂き目に会い、それに絶望して自殺しようとしたジョージを救うことでした。

 そのために、自殺しようとしたジョージよりも先に身投げして、逆に主人公に自分を救わせたのでした。

 またジョージが、もともと生まれてこなかったらどうなるのか、を実際に体験させ、家族や周囲の友人たち、自分のしようとしてきたことの大切さを痛感させることによって、心底から生きることの大切さを解らせ、改心させたのでした。

 一方で、悪役の資本家は、偶然に、その8000ドルを手に入れながら、それを返すどころか、本人が困ってやってきても、素知らぬ顔で追い返したのでした。

 ここに、ずる賢くて狡猾、金の権化のような資本家を登場させ、それと対峙させて、みんなで助け合う良心の証を、そのクライマックスにおいて鮮やかに示したのでした。

 今風にいえば、「今だけ、金だけ、自分だけ」に象徴される新自由主義の桎梏が、脆くも崩れ去ることを示唆するものでした。

 みんなが、持ち寄った住宅組合への募金によって、その住宅組合は倒産せずに済み、おかげでジョージと家族、そして募金を寄せたみなさんが、楽しくゆかいなクリスマスを過ごすことができました。

 そして、この映画の最後は「ホタルの光」の大合唱でした。

 この歌詞は、私たちが子供のころから唄ってきたものとは異なっていましたので、ここで紹介しておきましょう。

 古き友の記憶は薄れ

 思い出すことはないのか

 ・・・・

 友よ、遠き昔のために

 友よ、遠き昔のために

 友情の盃を交わそう
 
 原曲は、スコットランド民謡、今でも大晦日の最後に唄われています。 

 さて、この映画の主人公のジョージと家族、住宅組合の隣人たちは、このホタルの光を高らかに唄いながらクリスマスを祝いました。

 その後のかれらの人生を推察すると、ますます、豊かな自由を得て、素晴らしき哉の人生を全うしていったのではないでしょうか!

 金の亡者たちは滅び、むなしい人生を送っていったことでしょう。

 映画の最後の場面では、翼を得た天使の言葉が示されていました。

 友あるものは豊かである

 翼をありがとう

 こうして、ジョージとその友たち、そして天使は、自由という王国にみんなで歩を進めたのでした。

 しかし、これは、遠き昔の映画の話だけのことでしょうか?

 いいえ、決して、そうではありません。

 今も、みんなが、この王国に自由を求めて足を進めたいとおもっておられます。

 それは、私も同じで、この道をどこまでも進み、その先にある「青い山」に分け入っていくことをめざしています。

 その道程において、その強気味方になる金棒が、光マイクロバブル技術です。

 幸いにも、今年は、その王国へと貴重な一歩を踏み出すことができ、そこでの新たな課題がいくつも観えてきました。

 それらは、これまでの光マイクロバブル技術をより高次に発展させ、吃驚するような新たな光マイクロバブルワールドを形成させるにふさわしい可能性を秘めています。 

 来年は、この5000回記念記事と共に、その光マイクロバブルの新境地に堂々と胸を張って分け入っていくことにしましょう。

 それではみなさま、来る2023年が、ますますご幸福でご健勝の年でありますように、心から念願いたします。

 分け入っても、分け入っても、光マイクロバブル(この稿おわり)。

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                   路肩の花