荒野を進む若者たち(藤井聡太の場合(2))

 藤井聡太五冠の活躍が続いています。

 昨夜は、名人戦における挑戦者決定の決勝戦、佐藤天彦九段との先勝の後の二戦目でした。

 最近はAMEBATVでの中継がなされていますので、これを見始めてから、とうとう終局まで視てしまいました。

 それだけ、かれの戦い方が、魅力溢れていたからでした。

 それは、なぜでしょうか?

 どこに、その魅力があったのでしょうか?

 そのことが一番よく解ったのは、将棋の解説者の予想とは、肝心な一手のときにほとんど違っていたことことでした。

 その度に、その解説者たちは違っていた指し手に驚き、それが続いていくと、「藤井両王のことだから、きっと何か仕掛けているはずだ!」とまでいいだしました。

 対戦者はおろか、その解説者たちの予想さえ及ばない指し手を打っていくのですから、藤井竜王の、とくにその後半からの読みには、深い卓越性がありました。

 とくに、凄かったのは、飛車と金の両取りを角で取らせるように仕掛けたことにあり、それを天彦九段ができなかったことにありました。

 その結果、飛車は敵陣に侵入し、その最後は、あの飛車捨てによって詰みの状態へと導かせました。

 対戦者の天彦九段は、変幻自在で深い読みに基づいた指し手を前にして、余裕を残していた持ち時間を使い果たして、最後は秒読みにまで追い込まれました。

 一方の
聡太五冠の方は、余裕綽々で持ち時間を残しながら打つことによって、ますます優位になり、AIの評価も増していきました。

 その終局まじかになって、
聡太五冠は、角をならせて金を取りに行きますが、そこで天彦九段は、その金の前に桂馬を打って防ぎました。

 この時、解説者は、当然のことのように別の手を打つのがよいといっていましたが、それに反して、その角が桂馬を取ってしまうという手に驚いてしまったのです。

 しかも、その解説者たちは、この
聡太五冠の指し手によって天彦九段の形勢が好転し、勝つ可能性が出てきたということまで示唆し始めました。

 しかし、
聡太五冠は、冷静沈着そのもので、相手に攻めさせるだけ攻めさせて、それが難しいことが解った後に詰めのための一手を打ったところで天彦九段が投了しました。

 これは、竜王戦の最後において示された勝ち方と同じで、最強者の棋風だそうです。

 あの羽生七冠が、
聡太五冠のことを次のように評していました。

 「藤井さんのすごさは、第一に、だれも指さないような手を思いつくことにあります。

 他人の手を学び身につけることは、みんなしていることですが、新しくクリエイティブに手を見出すことは難しいことです。

 第二は、最終盤において読み切る力において抜群に優れていることです。

 そこで読み間違えたら終わりなのですが、かれは、それを読み間違うことがなく、必ず勝ってしまうのです」

 この指摘が、そのまま現れたのが、この最終戦でした。

 この勝利によって、かれは、名人戦における挑戦者の地位をもぎ取ることができました。

 来春には、この名人戦において六冠を目指すことになるでしょう。

 こうして、最近の竜王戦、名人順位戦を観察してきましたので、そこでの感想を以下に示しておきましょう。

 その第一は、かれが、未だ成長途上にあることです。

 そのことは、実戦を通じて勝っていくことによって、その都度強さを増して堂々としてきていることに現れています。

 ここで、私の学生時代に読んだ新聞記事のことをおもいだします。

 それは、木村義雄第十四世名人の次の言葉でした。

 「将棋を打っていて、どう打っていけばよいのかが解らないときがあります。

 その時には直感で打つしかないのですが、それが偶然良い手だったことで、『運が向いてきた』とおもいます。

 その時こそが、実力を発揮するときなのです。

 慌てず、急がず、最高の力を傾けて冷静に挑む、これが勝つコツなので
す」

 これは、よいことを知った、とおもって、これまで忘れずに記憶に刻み込んできました。

 しかし、そのように実力をいかんなく発揮できたのは、かれが十四世名人という実力を有していたからであり、凡人には、その遂行が難しいことであったことを知りました。

 長い人生においては、それが偶然にやってくることも含めて何度かの幸運の機会がありますが、それを逃してしまった悔いは、末永く心に遺るものであり、「あのとき、こうしておれば違っていた」と、時々想い起こすこともあります。

 おそらく、藤井
聡太五冠も、この悔いと反省を繰り返しながら、それを鍛錬によって乗り越えて来られたのではないでしょうか。

 その鍛錬の多さと深さが、かれの成長過程において重要な役割を果たしているようにおもわれます。

 第二は、かれの集中力の深さと粘り強さにあります。 

 昨日の順位戦は、朝の9時半から中継が始まり、その戦いが終わったのは夜の12時を過ぎていました。

 合計で15時間以上を費やしても、かれの集中力は途切れたことがなく、静かに読み進めていました。

 その姿を観て、私が驚いたのは、かれが、少しもその対極の姿勢を崩さなかったことでした。

 しかも、その服装はワイシャツにネクタイだけであり、この姿は、ワイシャツの上に厚手のチョッキを着て、その上にスーツの上着を重ね、さらにはひざ掛けをして天彦九段とは非常に対照的でした。

 
聡太五冠は、15時間も通用する精神力と体力を鍛錬していたのです。 

 次回は、次の第三の特徴について、よりふかく分け入ることにしましょう(つづく)。
maewa
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