小雨のなかで

 大型の台風14号が過ぎ去っていきました。

 しかし、その余波の影響でしょうか、昨日は、一日中小雨が降り、風も時折吹き返していました。

 大雨のなか、七島イの苗を庭に放置したままになっていました。

 おそらく、だいぶ弱ってきているであろうと思って、その根洗いを再開しました。

 「やはり、そうか!」

 密植した状態で雨ざらしのままでしたので、わずかに異臭を発していました。

 「急いで根洗いを済ませ、水路に戻してあげよう!」

 こうおもって、根洗いを急ぎましたが、生憎、小雨が強くなってきて、それを中断せざるをえませんでした。

 それらを小分けし、光マイクロバブル水に浸して、緑砦館1内に運びました。

 その大半において、未だ根洗いを完了していませんので、今朝のアグリ作業は、それを優先させる予定です。

 一方、移植先の水路の清掃が未だ完了していませんので、これについては家内に依頼しました。

 ここに移植さえすれば、元気に育ち始めますので、光マイクロバブルの植物活性、救命力にはすばらしいものがあると感じています。

 さて、この作業を行うと、いつも、文豪菊池寛の名作『恩讐の彼方に』のことをおもいだします。

 あの禅海和尚が、鑿と金槌で青の洞門を掘っていった話です。

 「こうして掘っていけば、必ず通じる!」

 不屈の精神を貫いた物語であり、今もなお、その鑿跡が残っている耶馬渓の「青の洞門」です。

 「これと比べれば、この程度の作業は大したことではない!」

 たしかにそうで、そういい聞かせては手を動かすことで、私なりの修行を重ねています。

 七島イの光マイクロバブル水耕栽培、これは、おそらく、誰もなさった経験がなく、私一人で進んでいくしかなく、その想いは、おそらく、禅海和尚に少々通ずるものがあるようにおもわれます。

 青の洞門が開通した暁には、多くの方々が大変喜ばれたそうで、かつての危ない道で命の危険に会うこともなくなりました。

 七島イの場合における「暁」とは、それを産業再生させることであり、かつての最高生産量の500万枚畳に迫ることです。

 「千里の道も一歩から」「塵も積もれば山となる」、これらに因めば、「青の洞門も、最初の金槌の一撃から」であり、時には、そのわずかな一撃によって、周囲の土石が崩れ落ちたという幸運があったのでしょう。

 それが、次の望みを形成させ、その暁をたくましく想像させたのかもしれません。

 この思想は、「須らく雫の石を穿つ如く」と説いた高野長英の哲学にも相通じるのもがあるようにおもわれます。
 
 そう考えると、七島イの作業も無駄ではなくなりますね。

 これは、少し前まで執拗に蔓延っていた、そして今や音を立てて破綻し始めている「今だけ、お金だけ、自分だけ」の思潮とはまったく正反対であり、結局は、それが時代に受け継がれていくのではないでしょうか。

 そうおもいながら、これからも、七島イとより深く親しくしていきましょう。

 その暁の目標は、かつての最高峰であった年間500万枚畳に接近し、それを超えることです。

 それは、禅海和尚の夢と同水準のものではないかとおもいます(つづく)。
 
mizu20220921
移植した水菜の苗(緑砦館3)