老いの「意味」(2)
若いころからよく愛読してきた森村誠一の最近のエッセイのなかに「老い」に関する一連の著作がありました。
①『老いの覚悟』 2011年 78歳(森村誠一氏の当時の年齢)
②『老いの希望論』 2015年 82歳(〃)
➂『老いの意味』 2021年 88歳(〃)
④『老いの正体』 2022年 89歳(〃)
このうち、①と➂を読了しました。
また、②は、著者の➂の「あとがき」から見つけ、早速、その中古本を手に入れました。
これには、丁寧に蛍光ペンが各所の文に塗られていて、それを見ながら読むのも楽しみのひとつです。
中古本が人から人へと渡って読み継がれることは良いことであり、私の場合、中古だというこだわりは少しもありません。
さて、③の内容も有益で、励まされました。
老人としては、一回り以上も年上の先輩だから、その老いの姿を赤裸々に示していただいたことに感謝し、少なくない叱咤激励もいただいたようにおもいました。
とくに、2015年頃から、かれは相当に重度の老人性うつ病と認知症を患うようになります。
かれは、その日の予定の小説を書き終えた時には。二階のベランダに出て朝の陽光を浴びてリラックスされていたそうですが、その発病の日は、いつもとまるで違っていました。
「その日の朝はいつもと違った。
今日も充実した時間を過ごせるだろうと思っていた早朝、いつものようにベランダに出て、爽やかな空気を吸いながら身体を動かそうとしたとき、違和感を覚えた。
前日までとはまったく違ったように、朝がどんよりと濁っていたのである。
雲が多いとか、そうしたことではなかった。
仕事に疲れたのかなと思い、毎朝欠かさなかった朝の散歩をやめて寝床戻った。
眠ることはできた。いつもより休めたはずなのに、眠気が残っていた。
しかし、その日から爽やかな朝に出会えなくなった・・・・」
このように、かれの老人性うつ病は突然始まったのでした。
これは、気のせいかと思い、原稿用紙に向かったときに愕然としたそうです。
それまでと違って、言葉が、文章が汚れ切っていたのでした。
さすがに熟練の小説家の表現は巧みですが、これでは書けないことを悟り、それまで書いてきた文章がいきなり書けなくなってしまったのです。
小説家にとって、以前のような文章が書けなくなったことは致命的であり、「生きた化石」でしかないと、その自分を表現されていました。
医師からは、次の勧めがありました。
①楽しいものを探す
②のんびりする
③美味しいもの食べて、ゆっくりと寝る
④趣味を見つける
①: ➡光マイクロバブル野菜づくりを行なう、将棋を指す
②: ➡ワインを少し飲みながら大谷翔平の野球をのんびり鑑賞する
➂: ➡毎日家内と国東の海の幸を食べ、光マイクロバブル野菜を楽しくいただく
④: ➡ブログ「マイクロバブル博士の『マイクロバブル旅日記』」を毎日認める
医者の勧めに沿って、かれが実行したことは、次の4つでした。
①人と会う
②喫茶店やレストランに行く
③電車や車に乗って、美しい場所に行く、楽しい場所に行く
④人を招く
私は、今のところ老人性うつ病や認知症を患っていませんが、これらに対しても現在の状況を矢印で付言しておきましょう。
①: ➡読書で人と会う
②: ➡近くに喫茶店やレストランがなく、午後三時は、森のコーヒーで「お茶タイム」を楽しむ、娘が料理した「パスタ」を美味しくいただく
③: ➡偶に国東の寺院巡りをする
④: ➡遠方より友来るを歓迎する
こうして比較すると、自然に、老人性うつ病を患うことを遠ざけているのではないかとおもわれます。
かれは、2011年の東日本大震災の直後に、老いの覚悟を示し、老いを生きる「志」を次のように明らかにしました。
「人生という長い過程の中で、考え、選択してきた心構えの凝縮である」
私も、あの破壊された瓦礫と破砕コンクリートの山のなかで、その破壊された大船渡湾のの蘇生に挑む「心構え」を凝縮させました。
こうして、老人性うつ病と認知症を併発させたかれの壮絶な「心構えの凝縮」による壮絶な闘いが始まりました。
次回は、その闘いに分け入ることにしましょう(つづく)。
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