老いの「意味」(1)
若いころからよく愛読してきた森村誠一の最近のエッセイのなかに「老い」に関する一連の著作がありました。
①『老いの覚悟』 2011年 78歳(森村誠一氏の当時の年齢)
②『老いの意味』 2021年 88歳(〃)
③『老いの正体』 2022年 89歳(〃)
この『老いの意味』は、かれが88歳の時に著したエッセイです。
若いころから、よく愛読してきました。
よく東京に出張していたころは、その行き帰りの新幹線のなかで必ずといってよいほど親しんできました。
缶ビール1本、崎陽軒の中華弁当、そして森村小説が、私のお決まりの3点セットでした。
あるとき、偶々、かれのサイン会がありましたので、
「あなたの本は、全部読んできましたよ!」
と告げると、かれは「ケルンの一石」という言葉を添えてくれました。
たしか、かれの小説のなかで、その言葉が出てきたことがありましたので、その重みを感じた記憶が残っています。
当時は、スーツ姿でリュックサックを背中に背負って颯爽と歩いていて、なんとかっこよいのかと感心したことがありました。
おそらく、それは、かれが山にも背負って行ったであろう、ブルーのリュックサックでした。
かれによれば、覚悟とは、「決意の凝縮」であり、「人生という長い過程の中で、考え、選択してきた心構えの凝縮である」と定義されています。
かれは、東日本大震災の悲惨な様子を観て、その「覚悟」を決めたそうです。
私も、その3.11から約2か月後に現地入りし、その凄まじい惨状のなかで「覚悟」し、その復興支援に取り組むことを決意しました。
その凝縮は、今もなお、私の胸のなかに鮮やかに存在しています。
しかし、その森村さんも、上記②において明らかにされちるように、ひどい「うつ病」にかかり、そこら必死で抜け出した様子がリアルに語られています。
何を覚悟したのか?
その「心構えの凝縮の実体」とは、何か?
1)その第一は、当面の重要な課題のひとつを、先に仕上げることを覚悟したことです。
それは、世界と日本の経済が急激に変化していくなかで、日本の技術者教育は、どうあるべきか、そしてその中核となっていく高専が、どのような目標と教育を行っていく必要があるのか、それらをまとめ上げることでしたが、その執筆を開始しました。
しかし、予定は、この夏が終わるまでに仕上げることでしたが、もう少し時間を要するようです。
2)さて、その第二は、この数年間において得られた光マイクロバブル水に関する成果を踏まえて、その多角的な発展をめざすことです。
これには、次の2つの視点が重要になります。
①光マイクロバブル水の製造技術の確立をめざすこと。
②その確立を行うには、その目的を明確にして探究の分野とルートを明らかにすること。
これには、次の3つの分野における2ルートがあります。
1)医療・介護分野
A)生理活性ルート
B)防疫ルート
2)農業・食料分野
A)植物活性ルート
B)発芽・苗づくりルート
3)環境・省エネ分野
A)水質浄化ルート
B)基礎実験ルート
3分野6ルート、これらを探究していくには、それなりの覚悟が必要である、そうおもって毎日を過ごしています。
また、当面の課題から取り組み、そこから普遍的で本質的な課題へと接近していく手法が大切です。
なお、この3)のB)の課題の探究は、それぞれの課題と重要な関係を有していますので、これがいよいよ始まったことに関しては、ひそかに特別の「おもい」を覚えています。
長い間、この課題を温め、準備も進めてきました。
しかも、予想以上の結果が出始めていますので、そのデータ整理にも楽しさが湧いてきました。
そのほかのそれぞれについては、別稿において、すでに、その一部の解説に分け入っているものもあり、詳しくは、それらをご覧ください。
より確かなものを求め探究の火を燃やし続ける、この覚悟が大切です。
私の70歳代においては、それが「一隅の灯」になっていくことができると幸いですね(つづく)。
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