「東医宝鑑」を著したホジュン(3)
『東医宝鑑』は、今でいう漢方、東洋医学における優れた先達の書であり、その後の韓国や日本、さらには本家の中国においても、その医学の発展に小さくない影響を与えたのでした。
二度目の科挙試験に首席で合格したホジュンの医学知識の基礎を土台にして、その後、内医院(ネイウォン)において御医(オイ、王様の主治医)になるまでの医学に関する研鑽、そして、その主たる編纂者として発刊を遂げた14年の歳月の賜物が『東医宝鑑』だったのです。
なぜ、ホジュンは、このように国際的に優れた大著を遺すことができたのでしょうか?
もともとは、中国の「明」の優れた医学を受け入れ、学んできたのが朝鮮であり、それを独自に発展させた代表的人物がホジュンでした。
内医院に入ったホジュン
ホジュンは、科挙の試験の主席合格者でしたので、通常は、内医院の医者として王族や高位の政治家の治療を行うルートに配属されるのですが、かれの上司たちは、それを忌み嫌って、誰も行きたがらない「恵民署(ヘイミンソ)」という一般市民の治療を行う部署に追いやられたのでした。
ここで、おもしろいことは、ホジュン自身も、その「恵民署(ヘイミンソ)」に配属されることを希望していたことでした。
その理由は、実際の医療現場において、さまざまな病気と出会い、その患者を治療するという実体験を重ねていくことが、医者としての本来の仕事であると考えていたからでした。
そこには、自分の出世よりも患者を救うことを優先していた先輩や一足先に女性医官になっていたイェジンも働いていました。
毎日、信頼できる上司と同僚、そして女性医官の支援者たちと共に、たくさんの患者が集まってくる現場で患者と接しながら治療法を学び、生きた医療を身につけていったのです。
さまざまな病気を有する患者に真正面から立ち向かい、その治療を行うホジュンは、しだいに医者としての実力を発揮できるようになりました。
これに対して、上司にへつらい、自分の出世のことしか考えない医官たちは、医者としての実力を養うことを当然のことながら軽視していたのでした。
その典型が、ホジュンの師であったユ・ウイテ医師の息子ユ・ドジでした。
王子の重い皮膚病が治せなかったかれは、自分の医師としての実力のなさを隠すために、そして自分の責任を逃れるために、その役目をホジュンに譲ります。
その病状が深刻で自分では到底治せなかったことから、ホジュンにその治療と責任を押し付けたのです。
ホジュンは、その王子の病状が深刻で、難病に陥っていることを素直に王様と王妃に告げます。
それを聞いて怒り心頭になった彼らでしたが、その時には、王子の病気を治すことが最優先事項であり、それをホジュンに託すことしかできませんでした。
しかし、この皮膚病は根が深く、ホジュンも初めての治療でした。
その対処法が解らず、必死で古代中国の文献を探し出します。
それは、その腫瘍の膿を蛭(ひる)で吸い出す方法でした。
王子の母親は、気味が悪いとホジュンを排斥しようとしますが、頑なに、この治療方法を全うしようとするホジュンの態度を大様とて変えさせることはできませんでした。
こうして、ホジュンは、古代からの医学の伝統を守り、それを現代により生かしていったのでした。
しかし、権力に決して靡(なび)かない、正義を貫く、患者に寄り添うというホジュンの「心医」の姿勢を忌み嫌う医官たちも少なくなく、さまざまな「嫌がらせ」や「騙し」を仕掛けられます。
その度に強靭な意志力と卓越した医術力、そして優れた体力で跳ね返していくことに、このドラマのおもしろさがあります。
あるとき、患者がホジュンの家まで押しかけてきます。
へリンソでの患者対応だけでは足りないので自宅にまで来て治療をしていただきたいと願い出てきたのです。
内医院の規則では、宮廷の外で治療を行うことは禁じられていました。
しかし、大勢のやってきた患者を前にして、それを断ることができずに治療を行うと、それが徐々に増えていき、御医に知られてしまいます。
おまけに金銭まで受け取っているという噂となり、ホジュンは詰問を受けました。
患者を前にして追い返すことはできず、また、金銭の報酬は一切受け取っていないことを正直に報告しますが、それを信用してもらうことができませんでした。
そして、その罰として宮廷の端から端までを1000回往復せよという罰が下されました。
往復200回でも死にそうになるくらいのしんどさなのに、1000回の往復とは、死を宣告されたことと同じでした。
しかし、ここが普通の人間とは違うホジュンであり、その精神力、体力は、けた外れに狂人でした。
毎夜のように、高い山に登って師匠の下で研鑽を重ねたホジュンでしたので、これをやり遂げてしまうのです。
これによって、その罰を下した御医は、完全に打ち砕かれ、ホジュンに対して頭を上げられなくなってしまいました。
これが、御医も認める内医院の医師になった瞬間でもあったのです。
王族の権力を維持していくうえで、彼ら、彼女らの健康維持と子孫づくりは、非常に大切なことです。
内医院の御医たちは、そのために雇用されており、医術の技を発揮させ、病気を治療することが課せられています。
その彼ら、彼女らを治療して病気から救うことが、御医らの最も重要な仕事なのです。
それゆえに、その医術は朝鮮の最高峰であり、病気を治すことがストレートに求められていることなのです。
ホジュンの場合、内医院での「心医」を究めることが、王族の病気を治療して改善していくことが、数々の迫害を受けながらも、徐々に実っていったのでした。
この成就こそが、本ドラマにおける「メインテーマ」だったのです(つづく)。
コメント